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## 桜吹雪の誓い

春の陽光が、薄汚れたアパートの窓ガラスをかすかに照らし出した。古びた布団の上で、佐藤詩織は目を覚ます。肩に食い込むブラジャーのワイヤーが、昨夜の虚しさを思い出させた。20歳。大学2年生。この街で一人暮らしをするには、あまりにも頼りない収入源しかない。

「また、か…」

スマートフォンの画面には、残高がわずかに表示されている。今月の家賃、学費、そして食費。どれもこれも、詩織の手の届かない金額だった。アルバイトを掛け持ちしても、焼け石に水。絶望的な状況に、詩織はため息をついた。

「パパ活…」

その言葉が、頭の中をぐるぐると回る。最初は耳にしただけで眉をひそめた。けれど、経済的な厳しさに直面するうちに、それは遠い世界の出来事ではなく、現実的な選択肢として、じわじわと彼女の心を蝕んでいった。

「でも、私…」

昨夜、友人である沙織が話していた。「私、結構いいパパ見つけたんだ。経済的にも安定してるし、話も面白い。それに、私を大切にしてくれるの。」沙織のキラキラとした瞳を思い出し、詩織は胸が締め付けられた。沙織は、詩織と同じように貧乏学生だったはずだ。一体、どうやって「いいパパ」を見つけたのだろう。

詩織は、重い腰を上げ、顔を洗いに向かう。鏡に映った自分の顔は、疲労と不安でくすんでいた。それでも、彼女の顔には、生まれ持った愛らしさが残っていた。艶やかな黒髪、少し垂れた優しい瞳、そして、ふっくらとした唇。もしかしたら、自分にもチャンスがあるのかもしれない。

「よし、決めた。」

震える指先で、詩織はスマートフォンを握りしめた。検索窓に「パパ活」と打ち込む。無数のサイトが目に飛び込んできた。どれもこれも、胡散臭いものばかり。しかし、詩織には選んでいる余裕はなかった。

数日後、詩織は初めての「お茶」をする約束を取り付けた。相手は、50代前半の男性、田中さん。写真では、穏やかな笑顔の紳士といった印象だった。待ち合わせ場所は、都心のお洒落なカフェ。詩織は、手持ちの服の中から、一番マシなワンピースを選び、少しでも綺麗に見えるようにと、メイクに時間をかけた。

カフェに到着すると、田中さんが窓際の席で待っていた。想像していたよりも、ずっと品のある男性だった。詩織が席に着くと、田中さんは優しく微笑んだ。

「佐藤さんですね。お会いできて嬉しいです。」

「こちらこそ、田中さん。」

ぎこちない挨拶を交わしながら、詩織は緊張で胸が高鳴るのを感じていた。田中さんは、詩織の大学のこと、専攻のこと、そして趣味のことなどを丁寧に聞いてくれた。詩織は、普段ならあまり話さないようなことも、自然と口にする自分がいた。田中さんの穏やかな人柄が、詩織の心を解きほぐしたのかもしれない。

「詩織さんは、お酒は飲まれるんですか？」

お茶が終わる頃、田中さんが尋ねた。

「はい、少しだけなら。」

「では、もう少しお話しませんか？私の行きつけのお店があるんです。」

詩織は、少し迷った。しかし、このまま帰るわけにはいかない。それに、田中さんとの会話は、予想以上に楽しかった。

「はい、喜んで。」

高級そうなレストランで、詩織は人生で初めて、高級ワインを口にした。田中さんは、詩織に気遣いながら、次々と会話を弾ませた。詩織は、田中さんの話を聞きながら、自分の将来について、漠然とした不安と、それでも何かを掴み取りたいという強い意志を感じていた。

「詩織さん、君はとても魅力的な女性だ。もっと君のことを知りたい。」

田中さんの言葉に、詩織の心臓が跳ね上がった。この後、どうなるのか。詩織は、薄々分かっていた。そして、その現実から逃れることはできない、と。

「田中さん…」

田中さんの手は、詩織の手にそっと触れた。その温かさに、詩織は戸惑いながらも、抗うことができなかった。彼女の背後には、借金、学費、そして母親の病気という、重い現実がのしかかっていた。

「私…」

詩織は、田中さんの目を見つめた。そこには、欲望だけでなく、どこか寂しげな表情も浮かんでいた。詩織は、この関係に、ただの金銭授受以上のものを求めているのだろうか。それとも、自分自身が、この状況を肯定しようとしているのだろうか。

「田中さん、私…」

言葉に詰まった詩織に、田中さんは優しく微笑んだ。

「君は、無理をする必要はないんだよ。」

その言葉に、詩織は張り詰めていた糸が切れたような感覚になった。彼女は、田中さんの胸に顔を埋めた。温かく、そして少しだけ重い。それは、人生の厳しさと、それでも生き抜こうとする人間の弱さを、同時に感じさせるものだった。

その夜、詩織は田中さんと関係を持った。それは、彼女にとって人生の岐路だった。汚いお金、と誰かが言った。しかし、詩織にとっては、生きるための、そして夢を諦めないための、切実な手段だった。

「ありがとう、田中さん。」

翌朝、詩織は涙を流しながら、田中さんに感謝の言葉を述べた。田中さんは、何も言わず、ただ優しく詩織の髪を撫でた。

アパートに戻った詩織は、銀行口座の残高が増えているのを確認した。これで、しばらくは安心できる。しかし、彼女の心には、複雑な感情が渦巻いていた。虚しさ、罪悪感、そして、かすかな希望。

「これで、いいのかな…」

窓の外では、桜が満開だった。風に揺れる桜の花びらは、まるで詩織の未来を祝福しているようでもあり、あるいは、静かに散りゆく命の儚さを物語っているようでもあった。

詩織は、決意を新たにした。この「パパ活」は、あくまでも一時的なもの。いつか、自分の力で、堂々と生きていけるようになると。そして、いつか、この経験を、誰かのために活かせる日が来るかもしれない。

桜吹雪の中、詩織は静かに誓った。この過酷な世界で、自分らしく生き抜くために。たとえ、その道が、世間から見れば、どんなに歪んで見えようとも。彼女の目には、もう迷いはなかった。ただ、前を向く強さだけがあった。