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## 硝子の向こうの私

「本番、30秒前」

耳元で囁かれた声に、私は静かに息を吐いた。冷たいスタジオの空気とは対照的に、体の中は奇妙な熱を帯びている。薄暗い照明の下、私は白いキャミソール一枚で、鏡張りの壁の前に立っていた。鏡には、自分ではない誰か、いや、紛れもなく自分自身が映っている。しかし、その瞳は、普段の私とは違う、どこか遠くを見つめているようだった。

「10、9、8…」

カウントダウンの声が響くたびに、私の心臓の鼓動は速まる。まるで、これから自分自身が解体されるかのような、あるいは、逆に生まれ変わるかのような、二律背反する感情が胸を締め付ける。

「…3、2、1、スタート！」

ピープ音と共に、私はゆっくりと右手を上げた。指先が鏡に触れる。そこには、私の肌の温もりを映し出すように、指の輪郭がぼんやりと浮かび上がった。

「…彼女は、プロだ」

誰かがそう呟くのが聞こえた。このスタジオにいる全員が、私を「プロ」と呼ぶ。そう、私は、この「○撮」の世界では、替えの効かない存在らしい。私自身、それを自覚している。そして、この自覚こそが、私をこの場所へと駆り立てる原動力でもあるのだ。

「もっと、自分を解放して」

監督の声が飛んでくる。解放。その言葉は、私にとって呪文のようであり、同時に、私を縛り付ける鎖でもあった。私は、この「解放」という名の仮想空間で、自分自身を演じている。いや、演じているというよりは、何かしらの「スイッチ」が入ったように、無意識のうちに、あるいは、意図的に、普段の自分では絶対にしないであろう行動を、次々と実行していく。

指先で鏡をなぞる。そこに映る自分の姿は、まるで他人のもののように見える。肌に刻まれた細かな皺、僅かに開いた毛穴、そして、そこから滲み出る、抑えきれない感情の断片。それらすべてが、この「○撮」という世界では、価値のあるものとして、貪欲に求められている。

「そうだ、もっと、大胆に」

誰かの声が、私の思考を現実へと引き戻す。私は、鏡に映る自分と目を合わせた。そこで見たのは、普段の私とはかけ離れた、妖艶な光を放つ瞳だった。それは、社会の規範や常識から解放された、剥き出しの欲望の象徴のように見えた。

私は、ゆっくりと、キャミソールの肩紐に指をかけた。滑らかな生地が、指先を滑り落ちていく。肩に露出された素肌に、スタジオの冷たい空気が触れる。その感覚に、体の奥底からゾクゾクとした震えが走った。

「…破廉恥だ」

誰かが、もう一度呟いた。そう、これは、世間一般の倫理観からすれば、紛れもない「破廉恥」だろう。しかし、私にとっては、これは「表現」であり、「自己開示」なのだ。この世界に身を置く人間は、皆、何かしらの「秘密」を抱えている。そして、その秘密を、ここでは、惜しみなく晒し、それを「芸術」へと昇華させようとしている。

私は、キャミソールをさらにずらし、片方の肩を露わにした。鏡の中の私は、より挑発的な表情で、私を見つめ返している。その姿に、自分でも驚くほどの、一種の陶酔感を感じた。

「そう、そうだよ、その調子」

監督の声が、さらに熱を帯びてくる。私は、鏡の中の自分に、さらに身を委ねる。肌に当たる冷たい空気、肌を撫でる自分の指先、そして、鏡の中に映る、解き放たれた自分自身。それらが混ざり合い、私の中に、これまで経験したことのないような感覚を呼び覚ましていく。

私の指先が、鏡の表面を滑らかに滑っていく。そこには、私の体温が、ぼんやりとした光となって映し出される。まるで、鏡が私の肌の秘密を吸い取っているかのようだ。そして、その吸い取られた秘密は、やがて、どこかの誰かの欲望を満たすために、変換されていくのだろう。

「もっと、見せて」

監督の声が、鋭く飛んでくる。私は、ためらうことなく、キャミソールをさらにずらした。胸元が露わになり、そこには、普段は決して見せない、私自身の「秘密」が、赤裸々に映し出されている。

鏡の中の私は、もう、私自身ではない。それは、この「○撮」という世界によって、新たに創造された、もう一人の私なのだ。彼女は、社会のあらゆる制約から解き放たれ、純粋な欲望のままに、その身を晒している。

私は、鏡の中の自分と、ゆっくりと目を合わせた。その瞳には、一体、何が映っているのだろうか。それは、欲望か、それとも、虚無か。あるいは、その両方なのかもしれない。

「…完璧だ」

監督の声が、満足げに響いた。私は、静かに息を吐き出した。まるで、長年抱え込んでいた重荷を下ろしたかのような、安堵感にも似た感情が胸に広がった。

「カット！」

ピープ音と共に、スタジオに緊張感が走った。私は、ゆっくりと、鏡から目を離した。そこには、先ほどまでとは違う、どこか疲れたような、しかし、どこか満たされたような、いつもの私自身が映っていた。

「お疲れ様。最高だったよ」

監督が、笑顔で近づいてきた。私は、かすかに微笑んだ。この「○撮」の世界で、私は、自分自身でも知らなかった自分を発見している。それは、社会の規範から外れた、破廉恥で、それでいて、どこか崇高な、奇妙な魅力を持った自分だ。

私は、この世界に足を踏み入れたことを、後悔していない。むしろ、この世界に身を置くことで、私は、自分自身の「核」に触れることができているのかもしれない。そして、その「核」こそが、私を「プロ」たらしめているのだと、そう信じている。

「次のシーン、準備するから」

監督の声に、私は静かに頷いた。硝子の向こうの私、それは、私自身であると同時に、私ではない誰かでもある。そして、私は、その誰かのために、これからも、自分自身を解き放ち続けるのだろう。それは、この「○撮」という世界に生きる、私なりの「生き様」なのだから。