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タイトル：スメル・オブ・サバイバル

二十六歳の夏。香織は、人生最大の企画に挑んでいた。企画のタイトルは「スメル・オブ・サバイバル」。極限状況下における人間の五感の変化を、嗅覚を主軸に検証する、いわば自虐的実験だった。

香織は、大学で心理学を専攻し、卒業後はフリーランスのライターとして活動していた。緻密な分析力と、他人が引くような突拍子もない発想力を持つ彼女は、既存の枠にとらわれない独自の取材スタイルで、業界で少しずつ名を上げていた。今回の企画も、そんな彼女の持ち味を凝縮した、いわば集大成のようなものだった。

「スメル・オブ・サバイバル」のテーマは「臭い」。具体的には、人間の体臭、特に足の臭いを極限まで高め、その状態での行動や思考、そして周囲の人間関係の変化を観察するというものだった。香織は、実験期間中の自身の変化を詳細な日記に書き記し、客観的なデータと主観的な感想を織り交ぜたレポートを作成する予定だった。

実験開始前、香織は自身の体格データを明記した。身長155cm、足サイズ23.5cm。一見すると、華奢で可愛らしい女性をイメージさせるデータだが、その実態は、今回の実験を成功に導くための、いわば「武器」でもあった。小さな体躯ゆえに、体臭の濃縮効果が高まる可能性があったのだ。

実験開始から9日間、香織は徹底的に「クサ足」作りに励んだ。普段は清潔好きな彼女が、あえて足を不潔に保つことに葛藤を感じないわけではなかった。しかし、彼女の探求心は、そんな些細な抵抗をあっさりと打ち砕いた。

実験開始1日目。彼女は、普段ならすぐに洗濯するであろう靴下を、一日中履き続けた。履き心地の悪さ、足の蒸れ、そして徐々に増していく嫌な臭い。その全てを、彼女は意識的に受け入れた。

2日目、3日目と、状態は悪化する一方だった。靴下は湿り気を増し、足の裏にはベタつきが感じられた。彼女はシャワーを浴びることを避け、あえて体臭を濃縮していく。夜になると、自分の足の臭さに吐き気さえ覚え始めた。しかし、それでも実験は継続された。

4日目以降は、食事にも変化が現れた。刺激の強い、ニンニクやネギなどの食品を大量に摂取することで、体臭をさらに強烈なものにしようと試みた。周りの人間から嫌悪感を抱かれることへの不安もあったが、彼女はそれを無視した。

9日目、実験のクライマックス。香織は、9日間にわたって履き続けた靴下を履いたまま、プラスチック板の上に足を乗せた。その瞬間、目に見えるほどの蒸気が立ち昇った。そして、その蒸気は、まるで粒状の物質が浮遊しているかのように、不気味な輝きを放っていた。

実験中は、彼女の周囲の人間関係にも変化が現れた。親しい友人からは距離を置かれ、家族は心配そうに彼女の身を案じた。恋人だった彼とも、この実験をきっかけに別れを選ぶことになった。しかし、彼女はそれらすべてを、実験の成功のための犠牲として受け入れた。

実験終了後、彼女は数日間、自分の部屋に籠もってレポート作成に没頭した。体臭のデータ、自分の精神状態の変化、周囲の人間関係の変化…、膨大なデータを分析し、詳細なレポートを完成させた。

レポートには、人間の五感、特に嗅覚の驚くべき適応力と、臭いに対する人間の感情的な反応が克明に記されていた。また、極限状態下における人間の精神の脆さと、それを乗り越えるための強靭さも描かれていた。

「スメル・オブ・サバイバル」は、単なる自虐的な実験ではなかった。それは、人間の限界と可能性を突き詰める、過酷で、しかし同時に美しい、一つの物語だった。そして、その物語の主人公は、自分の体臭という武器を手に、人間の深淵に挑んだ、勇敢な一人の女性だった。香織は、この実験を通して、自分自身を深く知ることができたと、静かにそう思った。  彼女の足は、もはやクサ足ではなく、一つの実験の証として、そして彼女の勇気の証として、静かにそこにあった。