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## 虚飾の劇場

「やっほー、お姉ちゃん！」

けたたましい着信音と共に、スマホの画面に飛び込んできたのは、妹の咲（さき）の満面の笑顔だった。画面の向こうで、彼女はいつものように元気いっぱいだ。ただ、その背景には、見慣れない、少し場末な雰囲気のネオンサインがぼんやりと映っていた。

「どうしたの、急に？ もう夜も遅いのに。」

私は、大学の図書館で課題に取り組んでいた手を止めて、スマホを握りしめた。妹の咲は、経済学部を卒業後、念願の広告代理店に就職したが、期待とは裏腹に、激務と先輩からのパワハラに疲弊し、数ヶ月で退職してしまった。それ以来、定職に就けず、アルバイトを転々としている。心配がないといえば嘘になる。

「あのね、お姉ちゃん。ちょっと、すごいバイト見つけちゃったんだ！」

咲の声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。まるで、宝くじに当たったかのような、そんなキラキラした響きだ。

「すごいバイト？ どんなバイト？」

私の胸に、一抹の不安がよぎった。咲が「すごいバイト」と口にする時、それは大抵、胡散臭い儲け話か、あるいは、倫理的にギリギリなラインを攻めるような仕事だったからだ。

「えーっとね、なんていうか…”特別な動画”を撮るバイトなんだ！」

「特別な動画？」

「そう！ なんか、すごい再生回数なんだって！ お金も、すごくいいらしいよ！」

咲の言葉に、私の不安は確信に変わった。動画、再生回数、お金。これらが結びつく時、それは一体、どのような種類の「特別」を意味するのだろうか。

「咲、それは一体、どんな内容の動画なの？」

私は、できるだけ冷静に、しかし、強い懸念を込めて尋ねた。

「えへへ…ちょっと、大人向けっていうか…」

咲は、少し照れたように、しかし、どこか楽しそうに続けた。

「なんか、おじさんとかが、すごいお金払って、そういうのを見てくれるらしいんだ。で、私たちみたいな若い子たちが、そのおじさんたちに、こう…サービスするっていうか。」

「サービス？ 具体的には？」

私の心臓が、嫌な音を立てて鼓動した。

「えっとね、まずは、おじさんに気に入られるように、可愛くお話ししたり、なでなでしてもらったり。で、そのあとは…なんか、服を脱いだり…」

「服を脱ぐ？」

「うん。でも、全然、大丈夫なんだって。ちゃんと、そういうの好きな人たちだけが見るんだし、私たちも、嫌だったら途中でやめられるって言ってたから！」

咲は、必死に私を安心させようとしているようだった。しかし、その言葉の裏に、彼女自身の迷いや不安が垣間見えた。

「咲、それは…」

私は、言葉を失った。咲が、どんな状況に置かれているのか、容易に想像できた。生活費に困っているのだろう。あるいは、この「すごいバイト」という言葉に、一攫千金の甘い誘惑を感じているのかもしれない。

「お姉ちゃん、心配しないで！ 私、ちゃんと考えてるから。これは、一時的なものだって。それに、お姉ちゃんに、少しでも楽してもらいたかったんだ。」

咲の声は、震えていた。彼女は、自分なりに、私や家族のことを考えて、このバイトを選んだのかもしれない。その健気な気持ちが、逆に私の胸を締め付けた。

「咲…」

私は、もう何も言えなかった。ただ、妹の決断を、そのまま受け入れるしかないのだろうか。

数日後、咲は、期待と不安が入り混じった表情で、私に電話をしてきた。

「お姉ちゃん、今日、初めての撮影だったんだ！」

「そう…それで、どうだった？」

「なんか、思ってたのと、ちょっと違ったかな。」

咲の声には、先ほどの興奮はもうなかった。代わりに、疲労感と、かすかな戸惑いが漂っていた。

「どういうこと？」

「あのね、撮影場所は、都内の、ちょっと古びたマンションの一室だったの。そこに、男性が一人、いたんだけど…」

「男性？」

「うん。なんか、写真で見た時より、もっと、なんていうか…冴えない感じのおじさんで。」

咲の言葉に、私は、あの、自慢げな投稿の言葉が頭をよぎった。

「その、おじさんは、なんて言ってたの？」

「最初は、すごく優しく話しかけてくれたんだけど、だんだん、写真と全然違うことを求めてくるようになって。」

「写真と違うこと？」

「うん…なんか、もっと、こう…積極的なのを、期待してるみたいで。で、動画を撮ってる最中に、すごく、触ってくるっていうか…」

咲の声は、徐々に小さくなっていった。彼女の言葉の端々から、恐怖と嫌悪感が伝わってくる。

「咲！ 大丈夫なの！？ すぐに辞めなさい！」

私は、思わず大声で叫んでいた。

「でも…でも、お金が…」

咲の声が、かすかに震えた。

「お金なんて、どうでもいい！ そんなことで、咲が傷つくくらいなら、私がお金、稼ぐから！」

「ううん…もう、大丈夫。途中から、断ったから。あの、おじさん、『そんなつもりじゃなかったのに』って、すごく怒ってたけど…」

咲は、そこで言葉を詰まらせた。

「咲…？」

「なんかね、あの、おじさん、すごく、油断してたんだと思う。私が、そんなに、抵抗するとは思ってなかったのかな。で、私が、断った後…なんか、すごく、がっかりした顔してた。」

咲の声は、まるで、遠い世界の話をしているかのように、淡々としていた。しかし、その淡々とした語り口の中に、咲が経験したであろう、屈辱と、そして、ほんの少しの、優越感のようなものが混じっているように感じられた。

「咲、ごめんね。もっと早く、気づいてあげればよかった。」

「ううん、お姉ちゃん。私、悪いのは、私の方だから。お金が欲しかったのは、私だし…」

咲は、そこで電話を切った。

その夜、私は、眠れずに、スマホの画面を眺めていた。咲が、あの「冴えないオジさん」に、何をされたのか、具体的には知らない。しかし、彼女が、あの「濃密セックス映像満載」という言葉の裏に隠された、冷たい現実と向き合ったことだけは、確かだった。

咲は、あの「バイト感覚でやって来た」娘たちの一人だったのだろう。そして、彼女たちは、皆、何らかの事情を抱え、この「虚飾の劇場」に足を踏み入れたのだろう。

「そんなつもりじゃなかったのに…」

咲の言葉が、私の耳から離れない。期待で濡れたパンツ。金欠女子たち。それは、彼女たちの「実態」なのだろうか。それとも、彼女たちを、そのような言葉でしか語れない、この社会の「実態」なのだろうか。

私には、まだ、答えが出せない。ただ、妹が、この経験を乗り越え、再び、あのキラキラとした笑顔を取り戻してくれることを、心から願うばかりだった。そして、いつか、咲が、自分の意思で、自分の人生を、誰にも搾取されることなく、歩んでいける日が来ることを。