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## 札束と友情の実験室

「いやー、しかし、まさかこんな実験に駆り出されるとはな。」

重厚な革張りのソファに身を沈めながら、60歳を過ぎたばかりの伊吹が、ワイングラスを傾けながら言った。隣には、同じく還暦を迎えたばかりの健一が、苦笑いを浮かべて頷いている。

「同感だな。まさか、我々のような『草食系男子』の代名詞とも言える世代が、こんな『エロいリアルモニタリング実験』の被験者になるとは。時代も変わったもんだ。」

彼らがいるのは、都心の一等地にそびえ立つ、とある研究機関の特別室だ。広々とした空間には、最新鋭のモニタリング機器が並び、部屋の中央には、まるで舞台のような、きらびやかなセットが組まれている。今回の実験は、男女の友情のプラトニックさを、札束を武器にどこまで揺さぶれるのか、という壮絶なものだった。

「そもそも、この実験の依頼が来た時、正直、断ろうかと思ったよ。」伊吹が続けた。「『男女の友情なんて札束次第でどうにでもなるのか？』なんて、そんな単純な話じゃないだろう、と。」

「私もそう思ったさ。だが、研究室の連中が熱心でね。『近年、草食系男子が横行し、プラトニックな関係が主流だと言われる中で、本当に男女の純粋な友情は存在するのか？』という問いに、我々のような『実績』のある人間を被験者にした方が、よりリアルな結果が出る、と。さらに、『オジサンたちの壮絶なエロ実験』だなんて、煽り文句がまた凄くてな。」

健一は、そう言って肩をすくめた。彼らは、若い頃はそれなりにモテたらしいが、今ではすっかり落ち着き、友人との会話も、最近のニュースや健康の話が中心となっていた。そんな彼らに、この突飛な依頼が舞い込んできたのだ。

実験の概要はこうだ。参加者は、過去に男女間の友情を築いた経験がある、年齢や職業も様々ないくつかの男女ペア。彼らには、事前のカウンセリングで、お互いへの友情の度合いや、金銭に対する価値観などを詳細に聞き出されている。そして、実験開始後、一方の参加者に、徐々に高額な金銭が提示される。その金銭は、「相手へのプレゼント」「一緒に豪華な旅行に行く資金」「将来のための投資」など、様々な名目で提示され、その金額も時間とともに増えていく。

モニターには、参加者たちの会話や行動がリアルタイムで映し出され、彼らの表情や声のトーンの変化、さらには生体データ（心拍数、発汗量など）も詳細に記録される。伊吹と健一は、そのモニタリング結果を分析し、今回の実験の「報告書」を作成するという役割を担っていた。

「しかし、あの若い女性たちの、あの真剣な眼差しを見てごらん。」

伊吹が、モニターに映し出された一組の男女を指差した。その女性は、提示された札束の山を前に、少し戸惑いながらも、相手の男性の顔をじっと見つめている。男性は、やや落ち着かない様子で、視線を左右にさまよわせていた。

「提示されている金額は、彼女の現在の年収の数倍になるだろう。これで、彼女の『友情』がどう動くか、興味深いところだ。」健一が、顎に手を当てながら分析を始めた。「彼女の表情は、動揺と、それから…期待、か？男性の方も、相手の反応を伺っている。ここで、もし彼が『それを受け取って、二人で有意義なことに使おう』と提案すれば、友情はより強固になるかもしれない。だが、もし彼が、『そんな大金、受け取れないよ』と断れば、彼女は友情を試されたと感じるだろう。」

「この実験、どこまでが『友情』で、どこからが『金銭』に支配されるのか、その境界線が曖昧なところが面白いよな。人間って、結局、損得勘定で動く生き物なのかもしれない。」伊吹は、再びワインを一口飲んだ。「若い頃は、そんなこと考えずに、ただ友情を信じていたものだが。」

「まあ、我々も若かった頃は、そんなものだっただろう。」健一は、遠い目をしながら言った。「でも、人生経験を積むと、どうしても現実的な考え方になってしまう。将来への不安、家族のこと、色々なことを考えてしまうからな。」

実験は、数日間にわたって行われた。様々なペアが、提示される金銭の金額や提示方法によって、友情の形を変えていった。あるペアは、当初のプラトニックな関係を維持しようと努力したが、あまりに高額な金銭を前に、徐々に距離を縮め、最後には、互いの将来を語り合うような関係へと変化していった。また、あるペアは、金銭の誘惑に屈せず、あくまで友情を貫き通したが、その過程で、互いに相手を思いやるあまり、ぎこちない態度をとる場面も見られた。

特に印象的だったのは、ある若い女性が、提示された巨額の金銭を断固として拒否し、そして、その金銭の代わりに、相手の男性に、彼の夢を応援するための手紙を渡した場面だった。その手紙には、彼女がどれだけ彼のことを理解し、尊敬しているかが綴られていた。モニターの画面を通して、伊吹と健一は、その真摯なやり取りに、思わず息をのんだ。

「…なるほどな。」伊吹が、静かに言った。「金銭だけが、人間の関係を動かすものじゃない、ということもあるんだな。」

「確かに。」健一も、感心したように頷いた。「あの女性は、金銭という『目に見える価値』よりも、相手の『内面的な価値』を重視した。そして、それを『友情』という言葉で表現した。これは、我々が当初予想していたよりも、ずっと複雑で、そして美しい結末だったと言えるだろう。」

実験は、最終段階を迎えた。これまでの結果を総括し、彼らなりの「報告書」を作成することになった。

「結局、男女の友情は、札束次第でどうにでもなるのか？」伊吹が、問いかけた。「俺は、そう単純じゃないと思う。」

「私も同感だ。」健一が、パソコンの画面を見ながら言った。「金銭は、確かに人間関係に大きな影響を与える。特に、経済的な困難を抱えている場合、その誘惑は計り知れないものになるだろう。だが、それでも、友情というものは、それだけでは揺るがない、もっと深い部分で結ばれているものも存在する。今回の実験で、それは証明されたと言えるのではないか。」

「しかし、あの『草食系男子』の時代に、本当にプラトニックな関係がどれだけ存在するのか、という問いに対しては、まだ答えが出たとは言えないな。」伊吹が、苦笑いを浮かべた。「我々のような、もはや『草食系』どころか『乾物系』になりかけている人間には、若い世代の複雑な人間関係は、もはや理解不能な領域なのかもしれない。」

「まあ、我々の役割は、あくまで『実験の報告』だからな。」健一は、そう言って、報告書の最後の項目を打ち込み始めた。「『結論：男女間の友情は、金銭によって影響を受ける可能性は高いが、個人の価値観や相手への敬意によって、その関係性は多様に変化する。プラトニックな関係の存在は、金銭による誘惑だけでなく、互いの内面的な繋がりによって維持される。』…こんなところだろうか。」

「それでいいだろう。」伊吹は、満足そうに頷いた。「今回の実験で、我々も少しは、若い頃の感性を取り戻せたような気がするよ。なんだか、少しだけ、心が洗われたような気分だ。」

「それは、皮肉だな。」健一は、笑いながら言った。「まさか、こんな『エロいリアルモニタリング実験』が、我々の老いらくの人生に、こんなにも清々しい風を運んでくるとは。」

研究室の窓からは、都会の夜景が広がっていた。きらめく光の海を見つめながら、伊吹と健一は、互いの顔を見合わせ、静かに微笑んだ。札束が飛び交う、この奇妙な実験室で、彼らは、友情というものの、奥深さと、そして確かな温かさを、改めて感じていた。それは、彼らが思っていた以上に、強靭で、そして何よりも、美しかった。