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## 現代迷宮遊郭譚

電車の揺れが、まるで人生の澱のように心に重くのしかかる。佐竹は窓に額を押し付け、ぼんやりと流れる景色を眺めていた。連日の残業、パワハラまがいの上司の罵声、そして空虚な休日。35歳、独身。どこにでもいる、疲れ切った現代のサラリーマンだ。

終電を乗り過ごし、見慣れない駅で降り立った時、佐竹は既に諦念に似た感情を抱いていた。どうせ明日も同じことの繰り返しだ。タクシーを拾う気力も湧かず、佐竹は駅前の寂れた商店街をあてもなく歩き始めた。

ネオンサインの消えた店がほとんどの中、奥の方に妖しい光を放つ一軒の建物があった。「月影楼」と書かれた古めかしい看板は、まるで異世界への入り口のようだ。躊躇しながらも、佐竹は導かれるようにその扉を開けた。

扉を開けると、そこは別世界だった。外の寂れた景色とは打って変わって、絢爛豪華な装飾が目に飛び込んでくる。艶やかな着物を着た女性たちが、優雅な笑みを浮かべて行き交い、甘い香と三味線の音が混ざり合い、現実を忘れさせるような空間が広がっていた。

「いらっしゃいませ、お客様」

奥から現れたのは、年の頃なら五十代くらいの女将だった。顔には皺が刻まれているものの、その目はどこか妖艶で、佐竹を見透かすような鋭さがあった。

「ここは…」

「月影楼でございます。日頃の疲れを癒しにいらっしゃったのですね？」

佐竹は戸惑いながらも頷いた。女将は微笑むと、一人の女性を手招きした。

「こちらへどうぞ。あやめ、お客様をご案内して」

あやめと呼ばれた女性は、佐竹を優しく見つめた。深紅の着物に身を包み、長い黒髪を優雅に結い上げている。その美しさは、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。

「さあ、こちらへ。ゆっくりおくつろぎください」

あやめに導かれ、佐竹は奥の部屋へと進んだ。部屋は落ち着いた雰囲気で、中央には豪華な座卓が置かれている。障子越しに漏れる光が、部屋全体を優しく照らしていた。

「まずは、お風呂にでも入りましょうか？お疲れでしょう？」

あやめの優しい言葉に、佐竹は素直に従った。案内された風呂は、檜の香りが心地よく、湯加減も絶妙だった。温かい湯に浸かると、張り詰めていた心がゆっくりと解きほぐされていく。

風呂から上がると、あやめは温かいお茶を用意してくれていた。湯上りの火照った体に、冷たいお茶が染み渡る。

「ゆっくり休んでください。私は少し席を外しますね」

あやめが部屋を出ていくと、佐竹は一人になった。静寂が部屋を満たし、佐竹はぼんやりと天井を見上げていた。自分がどこにいるのか、何をしているのか、まるで夢を見ているようだった。

しばらくすると、再びあやめが部屋に戻ってきた。その後ろには、さらに二人の女性が立っていた。

「お客様、ご紹介します。こちらは桔梗と撫子です」

桔梗は、紫色の着物を着た、活発そうな女性だった。大きな瞳が印象的で、見る者を惹きつける魅力がある。撫子は、白い着物を着た、儚げな雰囲気の女性だった。控えめな笑顔が、奥ゆかしさを感じさせる。

「三人で、お客様をもてなさせていただきます」

あやめの言葉に、佐竹は緊張した。三人の女性に囲まれ、戸惑いを隠せない。しかし、彼女たちの優しい笑顔を見ていると、次第に心が安らいでいくのを感じた。

その夜、佐竹は三人の花魁たちによって、これまでに経験したことのないような歓待を受けた。桔梗は、巧みな話術で佐竹を笑わせ、撫子は、繊細な手つきで佐竹の肩を揉みほぐした。そして、あやめは、妖艶な微笑みで佐竹を魅了した。

酒を酌み交わし、歌を歌い、踊りを舞う。時間はゆっくりと流れ、佐竹は現実を忘れ、ただその空間に身を委ねていた。

やがて、夜が更け、三人の花魁たちは、佐竹を寝室へと誘った。寝室は、豪華な寝具が備えられ、優しい香りが漂っていた。

「お客様、今夜はゆっくりお休みください」

あやめは、佐竹の隣にそっと腰掛けた。その瞬間、佐竹の心臓は激しく鼓動した。

「あやめさん…」

「はい、お客様」

あやめは、佐竹の頬にそっと手を添えた。その指先は、まるで絹のように滑らかだった。

「お客様は、とてもお疲れですね。私たちが、その疲れを癒してあげます」

あやめの言葉に、佐竹は抵抗できなかった。その瞳に吸い込まれるように、意識が薄れていく。

それからの時間は、佐竹にとって夢のようなものだった。三人の花魁たちは、それぞれの魅力で佐竹を翻弄し、快楽の極みへと誘った。桔梗の情熱的なキス、撫子の優しい囁き、そしてあやめの妖艶な誘惑。佐竹は、彼女たちの手によって、何度も快感の波に飲み込まれていった。

朝、目を覚ますと、隣には誰もいなかった。佐竹は、昨夜の出来事がまるで夢だったのではないかと疑った。しかし、体に残る疲労感と、心の奥底に残る満足感は、それが現実だったことを物語っていた。

部屋を出ると、女将が笑顔で迎えてくれた。

「おはようございます、お客様。ゆっくりお休みになられましたか？」

「はい…お世話になりました」

佐竹は、昨夜の感謝を込めて頭を下げた。

「またいつでも、お越しください。月影楼は、いつでもお客様をお待ちしております」

女将の言葉に、佐竹は頷いた。月影楼は、佐竹にとって、現実逃避の場所であると同時に、心の癒しを求めて訪れる場所になったのかもしれない。

駅へと向かう道すがら、佐竹は空を見上げた。いつもと変わらない朝の空だが、佐竹の目に映る景色は、どこか違っていた。心の中に、かすかな希望の光が灯っているのを感じた。

佐竹は、再び日常へと戻っていく。しかし、月影楼での一夜は、佐竹の心に深く刻まれ、その後の人生に、かすかな彩りを与え続けるだろう。それは、現代社会の迷宮に迷い込んだ男が見た、一瞬の幻影であり、心の奥底に眠る願望が具現化した、甘美な逃避行だったのかもしれない。そして、いつかまた、疲れ果てた佐竹は、あの妖しい光に導かれ、月影楼の扉を開けるのだろう。