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## 泡影の楽園

ネオンが目に痛い。新宿の喧騒は、まるで熱帯魚がひしめき合う水槽のようだった。僕は、その水槽の外から、ぼんやりとガラス越しにそれを眺めている気分だった。

KMP。

あの看板が、僕の視界に飛び込んできた。20周年を祝うけばけばしい電飾が、夜の闇を切り裂いている。かつて、この場所は僕にとって、現実逃避の楽園だった。今は、ただの痛々しい傷跡だ。

僕は、大学を卒業して数年、小さなIT企業でエンジニアをしている。仕事はそれなりに忙しいが、特に不満があるわけではない。ただ、何か決定的に欠けている気がしていた。日常は、まるでプログラムされたルーチンのように、淡々と過ぎていく。

初めてKMPに足を踏み入れたのは、2年前のことだった。同期の田中が、やけに興奮した様子で「マジでヤバい店があるんですよ！」と誘ってきたのだ。その時の僕は、恋愛経験も乏しく、女性に対する知識は、ほとんどインターネットの情報だけだった。

店のドアを開けた瞬間、むせ返るような甘い香りが鼻腔を刺激した。薄暗い照明、きらびやかな装飾、そして何よりも、露出度の高い衣装を身につけた女性たちの姿が、僕の目を奪った。

田中は、慣れた様子で受付を済ませ、僕を個室へと案内した。部屋に入ると、すぐに女性が挨拶にやってきた。彼女は、自己紹介もそこそこに、僕にメニューの説明を始めた。

僕は、正直、何を言われているのかよくわからなかった。頭の中は、目の前の現実離れした光景でいっぱいだった。田中は、ニヤニヤしながら僕の耳元で囁いた。「大丈夫だって。思いっきり楽しめばいいんですよ！」

その夜、僕は生まれて初めて、非日常的な快楽を味わった。女性たちの巧みなテクニック、惜しみなく使われる大量のローション、そして何よりも、彼女たちの笑顔が、僕の心を麻痺させた。

その後、僕はKMPの常連になった。仕事のストレスを発散するため、あるいは、ただ日常から逃避するために、頻繁に店に通った。

そこで出会った女性たちは、それぞれに個性的な魅力を持っていた。明るく元気なタイプ、ミステリアスな雰囲気を持つタイプ、そして、僕の話をじっくりと聞いてくれるタイプ。彼女たちは、僕にとって、現実の悩みを忘れさせてくれる存在だった。

しかし、その関係は、あくまでも金銭によって成立しているものだった。僕は、それを心のどこかで理解していた。だからこそ、彼女たちに深入りすることを避けていた。

特に、ミサキという女性が、僕の心に強く残っている。彼女は、KMPの中でも人気のある女性だった。長い黒髪、透き通るような白い肌、そして、どこか憂いを帯びた瞳が、僕を惹きつけた。

ミサキは、他の女性たちとは少し違っていた。彼女は、僕の仕事の話や趣味の話を、真剣に聞いてくれた。時には、僕の悩みに、的確なアドバイスをしてくれた。

僕は、ミサキに惹かれていった。しかし、同時に、彼女との関係が、ただの金銭的な繋がりであることを思い知らされた。ある日、ミサキは、僕に言った。「あなたは、優しい人ですね。でも、ここは、そういう場所じゃないんですよ。」

その言葉は、僕の心に突き刺さった。僕は、ミサキに幻想を抱いていたことに気づいた。彼女は、僕に優しく接してくれたが、それは、あくまでも仕事の一環だった。

僕は、KMPに通うのをやめた。ミサキの言葉が、僕の心を締め付けていた。僕は、現実に戻らなければならないと思った。

KMPから離れてしばらく経った頃、田中から連絡があった。「KMPが、20周年記念のイベントをやるらしいですよ。行きませんか？」

僕は、迷った。KMPに戻ることは、過去の自分に戻ることになる。しかし、同時に、ミサキに会いたいという気持ちもあった。

僕は、結局、KMPに行くことにした。20周年記念のイベントは、想像以上に盛り上がっていた。店内は、かつてないほどの賑わいを見せていた。

僕は、ミサキを探した。しかし、彼女の姿は見当たらなかった。受付の女性に尋ねると、彼女は、少し困ったような表情で言った。「ミサキさんは、数ヶ月前に辞められました。」

僕は、落胆した。ミサキは、もうここにはいない。僕の幻想は、完全に打ち砕かれた。

僕は、店を出た。夜空を見上げると、満月が輝いていた。その光は、まるで僕の心を照らしているようだった。

KMPは、僕にとって、泡影の楽園だった。そこでは、一時的に現実を忘れることができた。しかし、その快楽は、あくまでも一時的なものだった。

僕は、もう二度と、あの場所に戻ることはないだろう。過去の傷跡を抱えながら、僕は、自分の足で、未来へと歩いていくしかない。

新宿のネオンは、相変わらず目に痛い。しかし、その光は、僕にとって、希望の光でもある。僕は、現実の世界で、自分の居場所を見つけなければならない。

あの夜の出来事は、僕の心に深く刻まれた。そして、それは、僕が前に進むための糧となるだろう。僕は、そう信じている。

僕は、ゆっくりと歩き出した。未来への道は、まだ始まったばかりだ。