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## 彼女たちの選択

太陽が海に溶け込むように、オレンジと紫のグラデーションが空を染め上げていた。海岸沿いのオープンカフェに、心地よい風が潮の香りを運んでくる。その中でもひときわ目を引く存在が、友人たちと賑やかに談笑していた彼女だった。

「ねぇ、今日の夕日、すごく綺麗じゃない？」

彼女の名前は、結衣。24歳、結婚して2年目の新婚妻だ。普段は都内の小さなアトリエで、陶芸の講師をしている。その透き通るような肌、ぱっちりとした瞳、そして何よりも、彼女の周りを包み込むような柔らかな雰囲気に、思わず息を呑むほどだった。まるで、物語から抜け出してきたかのような、そんな純粋で、しかし芯の強さを感じさせる美しさ。

「うん、本当に。でも、結衣の方がもっと綺麗だよ」

友人の言葉に、結衣は少し照れたように笑う。その笑顔もまた、周囲の空気を温かくする力を持っていた。夫の健一とは、大学時代からの付き合い。穏やかで優しい彼に惹かれ、人生を共に歩むことを決めた。平凡だけれど、幸せな日々。それが結衣の描いていた未来だった。

しかし、その日、結衣の日常は予期せぬ形で揺らぎ始める。

「あの、すみません」

突然、隣のテーブルから声がかかった。振り向くと、そこには自分より少し年上だろうか、洗練された身なりの男性が立っていた。その瞳には、好奇心と、それ以上の何かが見え隠れしている。

「もしかして、結衣さん、ですよね？」

心臓がどくんと跳ねた。見覚えのない顔。どうして自分の名前を？

「え、あの…」

「以前、〇〇（場所の名前）のギャラリーで、結衣さんの作品を見させていただいたんです。あの、一点ものの茶碗。あまりに素敵で、ずっと印象に残っていました」

男性は、驚くほど流暢に、しかしどこか芝居がかったような口調で続けた。結衣の作品を褒められるのは嬉しい。しかし、この男性の視線が、芸術作品を見るそれとは明らかに違うことに、結衣は戸惑いを隠せなかった。それは、獲物を見つめるような、あるいは、秘められた欲望を隠そうとしない、そんな視線だった。

「ありがとうございます。でも、私は…」

「あ、もちろん、ご迷惑でしたらすぐに失礼します。ただ、どうしてもお話ししたくて。あの、もしよろしければ、この後、一杯だけお付き合いいただけませんか？」

男性は、さも当然のように、しかし誘いを断りにくいような空気を纏っていた。結衣は、周囲の友人にどう思われるか、そして何より、夫である健一の顔を思い浮かべ、断ろうとした。

「すみません、私はもう帰らなければいけなくて…」

「そうですか。残念です。でも、もし、またお会いできる機会があれば…」

男性は、諦めたような、しかしどこか次への布石を打つような表情で、名刺を差し出した。その名前は、「神崎 蓮」。職業は、フリーのライターらしい。

その夜、結衣は健一との約束をしていた。しかし、神崎蓮という男の存在が、頭から離れなかった。あの、人を惹きつけるような、それでいてどこか危険な香りのする瞳。そして、彼女の作品を、彼女自身を、値踏みするかのような、しかし同時に賞賛するような、複雑な視線。

翌日、結衣はアトリエで一人、黙々と作業をしていた。健一は出張で、数日間留守にしていたのだ。ふと、昨日神崎蓮にもらった名刺が目に入った。迷った末、彼女はスマホを手に取った。

「…もしもし？」

電話の向こうから、期待に満ちた、しかしどこか余裕のある声が聞こえてきた。

「結衣さんですか？神崎です。昨日はお断りされてしまいましたが、やはりお話ししたくて」

「あの…」

「突然で申し訳ないのですが、今、この近くにいるんです。もし、少しだけお時間いただけませんか？本当に少しだけで構いませんから」

結衣は、自分でもなぜか断れないと思った。それは、単なる好奇心だったのかもしれない。あるいは、日常に埋もれていた、どこか満たされない部分に、彼が触れてくるような感覚があったからかもしれない。

「…わかりました。でも、本当に少しだけです」

彼女が選んだのは、自宅からほど近い、落ち着いた雰囲気のバーだった。カウンター席に座り、目の前には、神崎蓮がいた。彼は、昨日のカフェよりもさらにリラックスした様子で、しかしその鋭い観察眼は変わらない。

「ありがとうございます、結衣さん。来てくれて嬉しい」

「あの、私の名前、どうして知ってたんですか？」

「何度か、アトリエの前を通ったことがあって。あの作品が、結衣さんのものだと確信したんです。そして、その…結衣さんという方にも、興味を持っていました」

彼の言葉は、一見褒め言葉なのに、どこか底意地の悪さを感じさせた。結衣は、自分が「素材」として見られているような、そんな感覚に襲われた。

「あの…私、既婚者なんですが」

「ええ、存じています。だからこそ、余計に興味を惹かれたのかもしれません」

神崎蓮は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。その笑顔に、結衣は一瞬、動揺した。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。

「私は、夫を大切に思っています。あなたとお話しすることに、特別な意味はありません」

「もちろん、理解しています。ただ、人生というのは、時に予期せぬ出会いによって、彩られるものだと私は信じているんです。結衣さん、もし、今の生活に、少しでも物足りなさを感じているなら…」

彼の言葉は、結衣の心の奥底に眠っていた、漠然とした不安を刺激した。夫の健一は、確かに優しい。でも、それは、慣れ親しんだ安らぎであり、刺激というものからは、遠いものだった。

「…私は、満足しています」

「それは、本当ですか？それとも、そう思いたいだけですか？」

神崎蓮は、結衣の目をまっすぐに見つめてきた。その瞳の奥には、見透かすような、しかし同時に、彼女が秘めているであろう可能性を見出そうとするような、そんな熱を帯びていた。

その夜、結衣は神崎蓮と、二人で数時間語り合った。彼が語る、世界中を旅した話、そこで出会った人々、そして、人生における「刺激」や「発見」の重要性。結衣は、今まで知らなかった世界の話に、夢中になった。そして、自分の中に、そんな世界への憧れが、静かに息づいていることに気づいた。

しかし、彼女の心には、罪悪感も芽生えていた。夫の健一を裏切っているのではないか、という疑念。それでも、彼女は神崎蓮の言葉に、抗うことができなかった。

「結衣さん、あなたは、まるで隠された宝石のようだ。その輝きを、もっと多くの人に知ってもらうべきだ」

彼の言葉は、結衣の自尊心をくすぐった。そして、彼女は、自分自身が「誰か」に選ばれる存在なのだという、甘美な錯覚に陥った。

数日後、結衣は、神崎蓮から連絡を受けた。それは、彼が主催する、あるパーティへの招待状だった。

「結衣さん、あの夜、あなたの話を聞いて、もっとあなたのことを知りたいと思いました。もしよろしければ、私の仲間たちにも、あなたの素晴らしさを紹介したいんです。これは、あなたにとって、きっと新しい扉を開くきっかけになるはずです」

結衣は、迷った。健一の顔がちらつく。しかし、神崎蓮の言葉に、抗いがたい魅力があった。彼女は、夫に「友人との集まり」だと嘘をつき、パーティへと向かった。

パーティ会場は、高級ホテルの最上階にあった。そこには、神崎蓮が言っていた通り、様々な分野で活躍する、魅力的な男女が集まっていた。そして、そこで結衣は、さらに衝撃的な事実を知ることになる。

「結衣さん、ようこそ！私、神崎の協力者なんです。彼、あなたみたいな、輝いてる女性を見つけるのが得意なんですよ」

そう言って声をかけてきたのは、華やかなドレスをまとった女性だった。

「協力者？どういうこと？」

「彼、こういう、才能あふれる、でもまだ世に出ていない逸材を探して、集めてるんです。で、その…“品評会”みたいなものも、たまにやってるんですよ」

「品評会…？」

結衣の頭の中が、真っ白になった。彼女は、自分が「選ばれる」存在だと思っていた。しかし、それは、彼らが仕掛けた、巧妙なゲームの一部だったのだ。

「つまり、あなたは、私のような…“素人”の妻を、ナンパして、その中から特に魅力的な女性を、集めてるってこと？」

「そういうことです。でも、あなた、選ばれたんですよ？神崎も、かなり気に入ってるみたいだし」

結衣は、その場から逃げ出したくなった。しかし、脚が動かない。彼女は、自分がどれほど愚かだったのか、そして、どれほど危ない世界に足を踏み入れてしまったのかを、悟った。

その夜、結衣は、人生で最も混乱した時間を過ごした。神崎蓮は、彼女の動揺を嘲笑うかのように、しかし優しく、彼女を抱きしめた。

「結衣さん、怖がらないで。これは、あなたを試しているだけなんだ」

彼の言葉に、結衣は、抵抗しようとした。しかし、それは、彼女が「素人」であったが故の、あまりにも無力な抵抗だった。彼女の身体は、彼らの欲望に、翻弄されるままだった。

その夜、結衣は、健一との約束を破り、そして、自分自身をも裏切った。彼女が選んだ道は、彼女が想像していたものとは、全く違うものだった。しかし、それでも、彼女の心の中に、抗えない「何か」が芽生え始めていたことも、また事実だった。それは、日常では決して味わえない、禁断の刺激。そして、自分自身が「選ばれる」という、甘美な誘惑。

彼女たちの物語は、まだ始まったばかりだった。それは、美しくも、危険な、そして、彼女たちが自ら選んだ、新しい人生の幕開けだった。