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## タイドプール

潮が引いた後の芝浦の運河沿いは、どこか物憂げな空気をまとっていた。高層マンション群が夕日に染まり、水面にオレンジ色の光を落とす。その光は、アスファルトの隙間に生えた雑草や、打ち捨てられた空き缶にまで平等に降り注ぎ、一瞬だけ、それらを美しく見せた。

そんな光景を、男は慣れた手つきでスマホに収めた。男の名はアキラ。自称「恋愛写真家」だ。もっとも、彼がレンズを向けるのは、風景だけではなかった。

今日のターゲットは、高層マンションから出てきたばかりの、黒のワンピースを着た女性だった。一目でそれとわかる高級ブランドのバッグを肩にかけ、足元は華奢なヒール。完璧な装いだが、どこか表情には倦怠感が漂っている。アキラは確信した。彼女は、この街に溢れる「セックスレスセレブ妻」の一人だと。

アキラは、静かに息を吸い込んだ。彼のナンパは、単なる遊びではなかった。これは、彼のライフワークであり、社会に対するアンチテーゼでもあった。彼は、SNSで「タイドプール」というアカウントを運営し、そこでナンパの成果を写真や文章で公開していた。「タイドプール」とは、潮が引いた後にできる水溜まりのこと。彼は、そこに都会に生きる女性たちの孤独や渇望を重ねていた。

「すみません、少しだけお時間よろしいですか？」

アキラは、あくまで丁寧な口調で声をかけた。女性は少し驚いたように振り返り、警戒心を露わにした。

「何か御用ですか？」

声もまた、完璧だった。しかし、その完璧さの中に、アキラは微かなひび割れを見つけた。

「もしお時間があれば、少しお話でも、と思ったんです。このあたりの景色、すごく綺麗じゃないですか。写真に撮るのが好きで、つい見惚れてしまいました」

アキラは、スマホの画面を女性に向け、先ほど撮った夕焼けの写真をそっと見せた。女性は、一瞬だけ警戒心を解き、写真に目をやった。

「綺麗ですね」

彼女の声は、先ほどよりも少し柔らかくなっていた。

「ですよね。でも、この景色も、誰かと分かち合わなければ、ただの風景でしかないんです。もしよかったら、近くのカフェで、少しだけお話しませんか？もちろん、お忙しいようでしたら、無理強いはしません」

アキラは、一歩引いた。この駆け引きが重要だった。彼は、ただのナンパ師ではない。彼は、相手の心を読み、尊重し、そしてゆっくりと、相手を自分の世界に引き込むのだ。

女性は、少し迷った。しかし、彼女の瞳には、確かに好奇心が宿っていた。

「…少しだけなら」

アキラは、小さく笑みを浮かべた。

カフェは、運河沿いのテラス席がある、落ち着いた雰囲気の店だった。アキラは、アイスコーヒーを、女性はカプチーノを注文した。

「あの…私は、ユキと言います」

女性は、少し緊張した面持ちで自己紹介をした。

「ユキさん、素敵な名前ですね。僕はアキラです」

二人は、他愛もない話をした。ユキは、結婚して３年になること、夫は仕事が忙しく、ほとんど家にいないこと、そして、この街での生活に、少し退屈していることを、ポツリポツリと語った。

アキラは、ユキの言葉を丁寧に聞き、相槌を打った。彼は、ユキの孤独に寄り添い、共感を示した。そして、彼はユキに、彼の「タイドプール」の話をした。

「僕は、都会に生きる女性たちの心の奥底にある、満たされない何かを、写真で表現したいんです。それは、孤独だったり、渇望だったり、あるいは、抑圧された感情だったり…」

アキラは、ユキの目をじっと見つめた。

「ユキさんの瞳にも、そんな光が見えるんです。もしよかったら、僕の被写体になってくれませんか？」

ユキは、驚いたように目を丸くした。

「私が…ですか？」

「ええ。ユキさんの美しさは、外見だけではありません。その内面に秘めた、複雑な感情こそが、僕が撮りたいものなんです」

アキラは、ユキの手をそっと握った。ユキは、抵抗することなく、その手を握り返した。

その夜、ユキはアキラのマンションにいた。窓からは、東京タワーの光が煌々と輝き、夜景を彩っていた。

アキラは、ユキを優しく抱きしめた。

「怖いですか？」

ユキは、小さく首を横に振った。

「少し…不安です」

「大丈夫。僕を信じてください」

アキラは、ユキの唇にそっとキスをした。ユキは、目を閉じ、そのキスを受け入れた。

二人は、ゆっくりと時間をかけて、お互いの体温を感じ合った。アキラは、ユキの服を丁寧に脱がせ、その肌に優しく触れた。ユキは、彼の熱い吐息を感じながら、体を震わせた。

その夜のことは、ユキにとって、まるで夢のような出来事だった。夫との冷え切った関係、退屈な日常、そして、心の奥底に隠していた、満たされない感情。それらが全て、アキラとの出会いによって解き放たれた。

アキラは、ユキの心の奥底に潜む、抑圧された感情を解放した。そして、ユキは、初めての浮気に、快楽と背徳感を感じながら、身を委ねた。

翌朝、ユキはアキラのマンションを後にした。彼女の表情は、昨日とはまるで違っていた。瞳には、輝きが宿り、顔には、微かな笑みが浮かんでいた。

ユキは、アキラとの出会いを、誰にも話さなかった。それは、彼女だけの秘密であり、宝物だった。

アキラは、ユキの写真を「タイドプール」にアップした。写真は、瞬く間に拡散され、多くの人々を魅了した。

写真には、ユキの美しい姿と共に、彼女の心の奥底にある、孤独や渇望が写し出されていた。それは、見る人の心を揺さぶり、共感を呼んだ。

アキラは、今日もまた、芝浦の街を歩いている。彼は、新たな「タイドプール」を探して、レンズを向けている。

都会に生きる女性たちの孤独や渇望は、決して消えることはない。そして、アキラは、その光と影を、これからも写真に収め続けるだろう。

彼は、レンズを通して、社会の矛盾を暴き出し、人間の本質を問いかける。

それが、アキラの「恋愛写真家」としての使命だった。

（了）