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## 静寂を破る音

古びた木造アパートの一室。蛍光灯の薄暗い光が、埃をかぶった家具をぼんやりと照らしている。男、名は健太は、使い古されたソファに深く腰掛け、パソコンの画面を睨んでいた。

画面には、見慣れたタイトルのアダルトビデオが映し出されている。「ガチンコ人妻ナンパシリーズ 至高の作品」という、下品なまでに扇情的な文字が、健太の心をざわつかせていた。

32歳。独身。冴えないSE。それが健太の肩書きだ。特に不満があるわけではない。平凡な毎日。繰り返されるルーチンワーク。ただ、心の奥底には、言いようのない渇望が渦巻いていた。

結婚している友人たちの話を聞くたびに、羨望と焦燥感が入り混じる。暖かな家庭、子供たちの笑い声。そんな光景が、遠い世界の出来事のように感じられた。

「まさか、俺もこんなものを…」

健太は自嘲気味に呟いた。かつては、こんな露骨な作品を見ることなど考えられなかった。理想の女性像を追い求め、真剣な恋愛を夢見ていた。しかし、現実は厳しかった。何度かデートを重ねても、関係は深まらず、いつも途中で終わってしまった。

いつしか、健太は恋愛というものを諦めかけていた。理想を追い求めるよりも、手っ取り早く現実逃避できる方法を求めるようになったのだ。

マウスを握り、再生ボタンをクリックする。画面に映し出されたのは、満面の笑みを浮かべた女性の顔だった。

「美人・清楚・巨乳・淫乱・素朴と様々な人妻が堪能できます」

ナレーションが耳に刺さる。健太は、目を瞑り、深呼吸をした。これは現実ではない。ただの映像だ。そう言い聞かせながら、再び画面に目を向けた。

映像が進むにつれ、健太の心は複雑に揺れ動いた。罪悪感、好奇心、そして、ほんの少しの憧憬。

ふと、玄関のチャイムが鳴った。

健太は慌てて映像を停止し、パソコンを閉じた。心臓が激しく鼓動している。こんな時間に誰だろう。

恐る恐るドアを開けると、そこに立っていたのは、隣に住む女性、美咲だった。

美咲は、健太よりも少し年上で、控えめな笑顔が印象的な女性だ。夫と幼い娘と三人で暮らしている。健太は、何度か廊下ですれ違った際、挨拶を交わした程度だった。

「あの…すみません、急に」

美咲は、少し戸惑った様子で言った。

「実は、娘が熱を出してしまって…。病院に連れて行きたいんですけど、主人が出張で不在で…」

美咲は、困ったように眉をひそめた。

「もし、ご迷惑でなければ、少しの間だけ、娘を見ていてもらえないでしょうか？」

健太は、一瞬、言葉を失った。まさか、こんな展開になるとは思ってもみなかった。

「あ…ああ、構いませんよ。僕でよければ」

健太は、反射的にそう答えた。

美咲は、安堵した表情で頭を下げた。

「本当にありがとうございます！すぐに戻りますから」

美咲は、娘の手を引き、急いで病院へと向かった。

健太は、美咲の部屋へと上がり、残された娘、莉子と二人きりになった。

莉子は、まだ幼く、熱のせいか、ぐったりとしていた。健太は、戸惑いながらも、莉子に優しく声をかけた。

「大丈夫だよ。すぐにママが帰ってくるからね」

莉子は、潤んだ瞳で健太を見つめ、小さな声で「うん」と答えた。

健太は、莉子を膝に乗せ、絵本を読んで聞かせた。最初は緊張していた莉子も、徐々に心を開き、健太に身を寄せ始めた。

いつしか、健太は、莉子の無邪気な笑顔に心を奪われていた。その笑顔は、画面に映し出された女性たちの笑顔とは全く異なる、純粋で温かいものだった。

莉子と過ごす時間は、健太にとって、これまで経験したことのない、穏やかで心地よいものだった。孤独だった心に、温かい光が差し込んだような気がした。

しばらくして、美咲が病院から戻ってきた。莉子の熱は少し下がったようだった。

「本当に助かりました。ありがとうございます」

美咲は、心から感謝の言葉を述べた。

健太は、照れくさそうに頭を掻いた。

「いえ、そんな…。莉子ちゃん、可愛かったですよ」

美咲は、微笑みながら言った。

「健太さんって、優しいんですね」

その言葉に、健太はドキッとした。今まで、誰にも言われたことのない言葉だった。

美咲は、莉子を抱きしめ、健太に深々と頭を下げた。

「今日は、本当にありがとうございました」

健太は、自分の部屋に戻り、再びソファに腰掛けた。パソコンは、まだ閉じたままだった。

健太は、先程まで見ていたアダルトビデオのことを思い出した。画面に映し出された女性たちの笑顔は、どこか虚ろで、冷たく感じられた。

健太は、深呼吸をし、パソコンの電源を入れた。そして、アダルトビデオのファイルを削除した。

その夜、健太は、莉子の笑顔を思い出しながら、眠りについた。これまでとは全く違う、穏やかな気持ちで。

翌日、健太は、美咲に会うため、勇気を出して隣の部屋を訪ねた。

「あの…もし、迷惑でなければ、莉子ちゃんと一緒に遊んであげてもいいですか？」

美咲は、嬉しそうに微笑んだ。

「もちろん、大歓迎です！」

健太は、美咲と莉子と、近くの公園へと出かけた。莉子は、健太の手を握り、嬉しそうに笑った。

公園には、たくさんの家族連れがいた。健太は、その光景を眺めながら、温かい気持ちに包まれた。

かつて、遠い世界の出来事のように感じていた光景が、今、目の前に広がっている。

健太は、莉子の手を握りしめ、ゆっくりと歩き出した。そして、心の中で呟いた。

「俺も、変われるかもしれない」

静寂を破る音は、アダルトビデオの再生音ではなかった。それは、莉子の無邪気な笑い声であり、健太自身の心の奥底から湧き上がる、新しい希望の音だった。そして、その音は、健太の平凡な日常に、温かい光を灯し始めた。