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## 陽光の下の密やかな熱

初夏の日差しが、木々の葉を透かして斑模様を描く。温泉街へと続く道は、見慣れた日常の喧騒から次第に遠ざかり、清々しい緑の香りが車内を満たしていく。助手席に座る佐代子は、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。その横顔は、いつものように清楚で、どこか儚げな美しさを湛えている。だが、その瞳の奥に宿る微かな熱は、私だけが知る秘密だった。

「きれいな景色ね、雄二さん」

佐代子の声は、淡く、しかし芯のある響きを持っていた。結婚して五年。彼女の変わらぬ清楚さは、多くの男性を惹きつけ、そして私を彼女の夫として誇らしく思わせてくれた。しかし、その「清楚」という言葉の裏に隠された、彼女自身の切実な願いを、私は見過ごしてきたのかもしれない。

「そうだね。君に似合っているよ」

私は、言葉を返す。その言葉が、どれほど空虚に響いているか、彼女は気づいているだろうか。私たちは、互いを尊重し、穏やかな関係を築いてきた。だが、それは同時に、互いの本質から距離を置くことでもあった。

目的地である温泉宿は、喧騒から離れた山間にひっそりと佇んでいた。古民家を改装したという宿は、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。日もまだ高く、客もまばらだった。仲居さんの案内に従い、部屋へ通される。部屋からは、緑深い山並みと、遠くでかすかに聞こえる川のせせらぎが見えた。

「素敵なお部屋ね」

佐代子は、そう言って微笑んだ。その微笑みは、いつものように穏やかで、しかし、どこか違った。まるで、この場所で、彼女が解放されるのを心待ちにしているかのような。

荷物を解き、浴衣に着替える。佐代子が選んだ浴衣は、淡い藤色だった。その色合いが、彼女の肌の白さを一層引き立てる。私も、浴衣に着替え、彼女の隣に座った。

「お風呂、先に入ってもいい？」

佐代子の声には、ほんの少しの期待と、それ以上の焦燥感が滲んでいた。

「ああ、どうぞ」

私は、頷く。彼女が、この場所で何を求めているのか。その答えは、もう私の中にはなかった。

浴室へ向かう佐代子の後ろ姿を見送りながら、私は一人、部屋の縁側に座り込んだ。まだ明るい陽の光は、肌に心地よい熱をもたらす。この宿には、日中から部屋でくつろぎ、日常を忘れることを許される空気が流れていた。そして、その空気は、私たちがこの場所へ来た本当の理由を、静かに肯定しているようでもあった。

どれくらいの時間が経っただろうか。障子が開く音に、私は顔を上げた。そこには、湯上がりで化粧を落とし、素顔になった佐代子が立っていた。普段は、丁寧にメイクを施し、完璧な自分を保っていた彼女が、今は、洗いざらしの絹のような肌を露わにしている。その姿は、あまりにも官能的で、私の息を詰まらせた。

「雄二さん…」

彼女は、私の隣にそっと腰を下ろした。その指先が、私の手をそっと撫でる。いつものように、遠慮がちな触れ方ではなかった。そこに宿る熱は、確かな欲求の炎だった。

「佐代子…」

私の声も、震えていた。この数年間、私は彼女の「妻」としての顔しか見てこなかったのかもしれない。いや、見て見ぬふりをしていたのか。

「私、今日だけは…妻じゃないの」

彼女は、そう言って、私を見つめた。その瞳は、濡れたように艶めき、決意に満ちていた。

「妻…という仮面を、脱ぎたいの。ただの、一人の女として…」

彼女の言葉は、静かだったが、その一言一言が、私の心の奥底に突き刺さった。私は、彼女の「妻」という役割を、彼女自身よりも大切にしていたのかもしれない。彼女が、その役割の中で、どれほどの渇きを抱えていたのか、私は知らなかった。

「今だけは…誰にも見られない、この場所で…」

彼女の言葉が途切れる。そして、その瞳が、私を誘うように細められた。

「雄二さん…私を…」

その言葉を待つまでもなく、私は、彼女の細い肩に手をかけた。触れた肌は、熱く、そして柔らかかった。それは、これまで私が触れてきた、彼女の「妻」としての肌とは、全く異なる温もりだった。

薄暗くなった部屋の中、窓から差し込む夕陽が、部屋に暖かな光をもたらす。佐代子は、もう「妻」ではなかった。彼女は、ただ純粋に、一人の女性として、その欲望のままに私を求めていた。そして、私もまた、彼女の「夫」という立場を離れ、一人の男として、彼女の官能に身を任せていた。

互いの肌が触れ合うたび、静かな喘ぎが部屋に響く。それは、罪悪感や後ろめたさからくるものではなかった。むしろ、抑えきれない、純粋な衝動だった。日中の陽光が、まるで私たちの行為を肯定するかのように、部屋を照らし続ける。それは、背徳というよりも、むしろ、解放の光のように感じられた。

彼女の「清楚」という鎧は、この陽光の下で、ゆっくりと溶けていった。露出した柔らかな肌は、熱を帯び、艶やかに輝く。普段は決して見せることのない、大胆な仕草や吐息が、私の理性を麻痺させていく。私は、彼女の「妻」という仮面の下に隠されていた、奔放で情熱的な女の部分に、強く惹きつけられていた。

「雄二さん…もっと…」

彼女の声が、震えている。その声に、私はさらに深く、彼女へと沈み込んでいく。まるで、このまま溶けてなくなってしまいたいと願うように。

それは、禁断の果実を味わうような、甘く、そして危険な時間だった。しかし、その危険さこそが、私たちを日常から引き剥がし、この密やかな熱へと駆り立てていた。

窓の外では、夕陽が西の空に沈みかけ、空は茜色に染まっていた。部屋の中には、まだ熱がこもり、私たち二人の体温だけが、その熱を保っているかのようだった。

「私…こんな風に…なれるなんて…」

佐代子は、息を切らしながら、呟いた。その瞳には、満ち足りたような、そしてどこか不安げな光が宿っていた。

「君は、いつも綺麗だよ、佐代子」

私は、そう言って、彼女の頬を優しく撫でた。この瞬間、彼女は紛れもない「一人の女」であり、そして私は、彼女を愛する「一人の男」だった。

夜が訪れるにつれて、温泉宿は静寂に包まれていく。しかし、私の心の中では、まだあの陽光の下の熱が、静かに燃え続けていた。この背徳の小旅行は、私たちに、互いの知らなかった一面を教えてくれた。そして、それは、いつか日常に戻った後も、私たち二人の間に、静かな、しかし確かな絆として残るのかもしれない。

佐代子の唇が、微かに微笑む。その微笑みは、もう「妻」のそれではなく、一人の女の、満ち足りた、そして少しだけ切ない微笑みだった。陽光の下で咲いた、密やかな熱の証だった。