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## 団地のチャイム

錆び付いたチェーンがキーキーと悲鳴を上げる。団地の駐輪場は、夕暮れ時の喧騒を背に、静かにその時を待っていた。

男、名はコウイチ。キャップを深く被り、視線を隠している。その視線の先には、色とりどりのママチャリが整然と並び、そしてその間を縫うように歩く、数々の女性たちの姿があった。

コウイチは、自称「恋愛アドバイザー」。実態は、団地に住む主婦をターゲットにしたナンパ師だった。

「団地妻は、ある意味、現代社会の縮図だ」

彼はそう嘯く。閉鎖的な空間、繰り返される日常、そして満たされない何か。そこには、乾いたスポンジのように、わずかな刺激を求めている女性たちがいる、と。

彼の武器は、甘い言葉と、作り込んだ笑顔。そして、観察眼だ。スーパーの袋を提げているか、子供を連れているか、疲れた顔をしていないか。一瞬の判断で、ターゲットを絞り込む。

初日、コウイチは空振りに終わった。警戒心の強い主婦たちは、見慣れない男に警戒し、足早に立ち去る。子供を盾にする母親もいた。

「まあ、そんなもんだ」

コウイチは肩をすくめ、作戦を練り直した。彼は図書館に通い、育児書や料理雑誌を読み漁った。主婦たちが抱える悩み、興味のある話題を頭に叩き込む。

二日目。駐輪場に現れたコウイチは、明らかに様子が違っていた。優しい笑顔、子供の成長を気遣う言葉、そして、さりげない手伝い。

「雨が降りそうですね。良かったら、これ、傘に入れてあげますよ」

彼は、子供を抱えた若い母親に、そう声をかけた。警戒しながらも、彼女はコウイチの申し出を受け入れた。

「ありがとうございます。助かります」

その瞬間、コウイチは勝利を確信した。硬かった彼女の表情が、ほんの少しだけ緩んだのだ。

それから数日間、コウイチは毎日、駐輪場に現れた。子供の名前を覚え、好きなキャラクターを把握し、育児の悩みに耳を傾けた。彼は、完璧な「良きパパ」を演じた。

そして、ついに、その時が来た。

「コウイチさん、いつもありがとうございます。よかったら、今度、うちでお茶でもどうですか？」

それは、数日前に傘を貸した若い母親、ユキだった。

コウイチは、内心でガッツポーズをした。これが、彼の狙いだった。

ユキの家は、団地の５階だった。古びたエレベーターに乗り、息をひそめる。

「すみません、こんな古い団地で」

ユキは申し訳なさそうに言った。

「そんなことないですよ。懐かしい感じがして、落ち着きます」

コウイチは、そう答えた。そして、彼は、ユキの家のドアが開いた瞬間、異様な光景を目にした。

リビングには、見覚えのある女性たちが集まっていたのだ。あのスーパーで出会った女性、公園で子供と遊んでいた母親、そして、駐輪場で声をかけた、気の強そうな女性。

「え…？」

コウイチは、言葉を失った。

ユキは、ニヤリと笑った。

「コウイチさん、いらっしゃいませ。今日は、あなたのために、特別な会を用意したんです」

リビングにいた女性たちが、一斉にコウイチを見た。その視線は、冷たく、そして、どこか嘲笑を含んでいた。

「あなたみたいなナンパ師は、もううんざりなのよ」

気の強そうな女性が、そう言った。

「私たちは、バカじゃない。あなたが私たちを騙そうとしていることなんて、最初からわかっていたわ」

スーパーで出会った女性が、そう続けた。

コウイチは、冷や汗が止まらなかった。彼は、完全に罠にはめられたのだ。

「どうして…」

彼は、震える声で尋ねた。

「簡単よ。私たちは、コミュニティを持っているの。団地全体が、一つの家族みたいなものなのよ」

ユキは、そう答えた。そして、彼女は、冷蔵庫から一枚の紙を取り出した。

それは、コウイチの写真だった。彼の顔には、大きくバツ印が書かれていた。

「あなたのことは、もう、団地中に知れ渡っているわ。二度と、私たちの前に現れないで」

ユキは、冷たい声で言った。

コウイチは、逃げるように、ユキの家を飛び出した。彼は、エレベーターに乗ることもできず、階段を駆け下りた。

駐輪場に戻ると、彼の自転車は、タイヤがパンクしていた。

コウイチは、力なく、自転車を置き去りにし、団地を後にした。

彼は、自分の愚かさを痛感した。彼は、団地妻たちを、ただの性的対象としか見ていなかった。彼女たちの生活、悩み、そして、絆を、全く理解していなかったのだ。

コウイチは、街を彷徨った。空は、いつの間にか暗くなっていた。

彼は、公園のベンチに座り、深くため息をついた。

「もう、二度と、こんなことはしない」

彼は、そう誓った。

しかし、その言葉は、虚しく、夜空に消えていった。

数日後、コウイチは、別の街の駐輪場に立っていた。

今度は、スーツを着て、花束を持っている。

彼は、再び、獲物を探していた。

だが、彼の目は、以前とは違っていた。そこには、欲望ではなく、かすかな希望が宿っていた。

彼は、本当に愛せる人を探したい。そう、心から願っていた。

しかし、彼がその願いを叶えることができるのかどうかは、誰にもわからなかった。

団地のチャイムは、今日も、静かに鳴り響いている。そして、その音色は、希望と絶望が入り混じった、複雑な旋律を奏でている。