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## 潮風と、君の吐息

真夏の日差しが、アスファルトを焼くように照りつける。高校二年の夏休み。僕は、田舎の海沿いの町にある祖母の家で、退屈を持て余していた。都会の喧騒とは無縁の、静かで、そして少し寂れたこの町で、僕の日常はひたすら単調だった。

「はぁ…」

ため息をつきながら、窓の外をぼんやりと眺める。青い海、白い砂浜。絵に描いたような夏の風景だけど、僕の心はどこか満たされない。友達もいない。彼女もいない。ただ、過ぎていく時間を無為に過ごすだけ。

そんなある日、いつものように海岸を散歩していると、遠くに人影が見えた。珍しいな、と思いながら近づいていくと、それは一人の少女だった。

彼女は、砂浜に座り込み、海に向かって何かを呟いていた。風になびく黒髪、白いワンピース。その姿は、まるで絵画のように美しかった。

「あの…」

思わず声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。透き通るような白い肌、大きな瞳。その瞳には、どこか悲しげな色が宿っていた。

「…ごめんなさい。私、少しここに座っていただけなんです。」

彼女の声は、鈴の音のように澄んでいた。

「いえ、別に。ただ、珍しいなと思って。」

僕は、少し照れながら答えた。

「ここには、あまり人が来ないんです。」

「そうなんですね。私は…」

彼女は、言葉を詰まらせた。

「…私、ここに住んでいるわけではないんです。夏休みだけ、親戚の家に来ているんです。」

「そうなんですか。僕は、ここの住人です。夏休みは、いつも祖母の家で過ごしています。」

私たちは、しばらく言葉を交わした。彼女の名前は、夏月（なつき）。僕の名前は、海斗（かいと）。夏月という名前も、海斗という名前も、この町にはぴったりの響きだった。

それから、僕たちは毎日のように会うようになった。海岸を散歩したり、近くのカフェでかき氷を食べたり。夏月といると、時間が経つのを忘れてしまう。彼女の笑顔は、僕の心を温かく照らし、退屈だった日常に彩りを与えてくれた。

「海斗くんって、都会に友達、たくさんいるの？」

ある日、夏月が尋ねた。

「うーん、まあ、それなりには。でも、なんか、こう…本当の友達っていう感じじゃないんだよな。」

僕は、正直に答えた。

「そっか。私は、友達って呼べる人、ほとんどいないんだ。みんな、私とは違うって、どこか思ってるみたいで。」

夏月は、少し寂しそうに微笑んだ。

「でも、夏月ちゃんは、僕にとって、初めて本当の友達だよ。」

僕は、精一杯の笑顔で言った。夏月は、少し驚いた顔をした後、照れたように俯いた。

「ありがとう、海斗くん。」

その言葉を聞いた時、僕の心臓は、ドキドキと早鐘を打った。夏月といると、いつもこんな風に、僕の心は騒がしくなる。

ある晩、星が綺麗に見える丘の上で、僕たちは海を眺めていた。月明かりが、夏月の横顔を照らし、その髪をキラキラと輝かせている。

「ねぇ、海斗くん。」

夏月が、静かに僕の名前を呼んだ。

「何？」

「私…海斗くんのこと、友達っていうだけじゃ、ダメなのかも。」

夏月の言葉に、僕は息を飲んだ。彼女の瞳が、僕の瞳をまっすぐに見つめている。その瞳には、今まで見たことのない、強い光が灯っていた。

「夏月ちゃん…」

僕の声が、震えているのが自分でもわかった。

「私、海斗くんのこと、好き。」

夏月は、そう言って、そっと僕の手に自分の手を重ねた。その指先は、驚くほど冷たかった。

僕の心臓は、爆発しそうなくらい高鳴った。こんな気持ち、初めてだった。彼女の温かい手に触れていると、まるで夢の中にいるような気分になった。

「僕も…夏月ちゃんのことが、好きだよ。」

僕は、夏月の手をぎゅっと握り返した。

その夜、僕たちは、初めてキスをした。月明かりの下、潮風に吹かれながら。夏月の吐息は、甘く、そして少し震えていた。彼女の体温が、僕の手に伝わってくる。

それからの日々は、まるで夢のようだった。僕たちは、誰にも知られないように、秘密の時間を過ごした。夕暮れ時の海岸で、二人きりで語り合ったり、夜中にこっそり抜け出して、星空の下で抱き合ったり。

夏月は、驚くほど純粋で、そして、どこか儚げな少女だった。彼女の笑顔は、太陽のように明るく、僕の心を温めてくれた。しかし、その瞳の奥には、いつもどこか影があった。

「夏月ちゃん、何か悩んでいることがあるの？」

ある日、僕は夏月に尋ねた。

「ううん、何でもないよ。」

彼女は、そう言って、僕の胸に顔を埋めた。

夏休みが終わる日が、刻一刻と近づいてくる。別れが来ることを考えると、胸が締め付けられた。

「海斗くん、私…」

ある日、夏月は、僕にそう切り出した。

「どうしたの？」

「私、東京に帰ったら…もう、ここには戻ってこないかもしれない。」

その言葉に、僕は愕然とした。

「え…どういうこと？」

「私の両親が、海外に転勤することになったの。私も、一緒に行くことになると思う。」

夏月の声は、涙で震えていた。

「…そんな、嘘だろ？」

僕の頭の中は、真っ白になった。

「ごめんね、海斗くん。ずっと、言えなくて。」

夏月は、泣きながら僕に抱きついた。

「いやだ…嫌だよ、夏月ちゃん！」

僕は、夏月の体を強く抱きしめた。

「私だって、嫌だよ。でも…」

夏月は、僕の顔を見上げ、瞳に涙を溜めて言った。

「私、海斗くんのこと、本当に好き。だから…」

彼女は、言葉を詰まらせた。

「だから、お願い。忘れないで。」

その言葉に、僕は、何も言えなかった。ただ、彼女の温もりだけを、胸に刻みつけようとした。

夏休みが終わる日。僕は、一人、駅に立っていた。夏月が、僕に別れを告げにきてくれたのだ。

電車が、ゆっくりと動き出す。夏月は、窓から僕に手を振っていた。その顔は、笑顔だったけれど、瞳は赤く腫れていた。

「海斗くん、元気でね！」

彼女の声が、遠ざかっていく。

僕の夏は、終わりを告げた。

それから、僕の日常は、再び単調なものに戻った。しかし、あの夏の日々、夏月と過ごした時間は、僕の心の中に、鮮烈な記憶として残っていた。

彼女の笑顔、彼女の声、彼女の温もり。そして、あの潮風の匂い。

時折、僕は一人で海岸に立ち、あの頃を思い出す。夏月は、今、どこで何をしているのだろうか。

いつか、また会えるだろうか。

そんなことを考えながら、僕は、遠い海を眺める。

僕の心は、あの夏の日、海月という名の少女に、永遠に囚われたままだった。

これは、僕の、たった一度の、そして、かけがえのない青春の物語。

潮風と、君の吐息に包まれた、あの夏の日の物語。