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## 禁断の夜明け

梅雨明けの匂いが、開け放たれた窓から湿り気を帯びて室内に流れ込んできた。美玲は、指先でそっとシーツのひんやりとした感触を確かめながら、まだ薄暗い空を見上げた。旅は、二日目の朝を迎えていた。

「美玲さん、まだ寝てるの？」

低く、甘やかな声が耳元をくすぐった。目を閉じても、その声の主、健一さんの顔が鮮明に浮かび上がる。見上げるようにして見つめられた、あの吸い込まれそうな瞳。初めて会った時の、あの計算されたような、それでいてどこか放っておけないような、そんな複雑な表情。

美玲は、箱入り娘だった。両親の望むまま、ごく自然に見合い結婚というレールに乗せられた。相手は、父の長年の友人である資産家の息子。裕福な家庭に育ち、物腰柔らかで、世間的には何の不自由もない、むしろ恵まれた結婚だった。夫の直樹さんは、穏やかで優しい人だった。しかし、どこか遠い存在のような気がしてならなかった。家事も完璧にこなし、社交的な場にもきちんと対応する。それは、まるで絵に描いたような理想の妻の姿だったのかもしれない。

ただ、美玲には、ずっと胸の奥に小さな、でも消えることのない疑問があった。それは、自身の「経験」の少なさ。インターネットの海を漂っていて、ふとしたことから、自分の性的な経験が、あまりにも少ないことに気づいてしまったのだ。それは、まるで、まだ開けてもいないプレゼントの箱のような、そんな虚しさだった。

「人生経験のために」という言葉は、ある意味では本心だった。しかし、それ以上に、抑えきれない好奇心と、自分自身の内側から湧き上がる、未知への渇望が、彼女をこの場所へ連れてきた。夫に知られずに、誰にも知られずに、ただ自分だけの秘密を、この世界で一つ、刻みたかった。

健一さんは、その「人生経験」のために、美玲が選んだ相手だった。ネットの掲示板で、匿名で、しかし雄弁に、性への欲望を語る彼の言葉に、美玲は惹かれた。それは、彼女がこれまで触れることを許されなかった、裏側の世界への扉の鍵のように思えた。

「もう、朝だよ。」

健一さんが、そっと美玲の髪を撫でた。その指先が、首筋を這う。ぞくっと背筋を駆け上がるような感覚。それは、初めての、そして禁断の扉を開ける予感に似ていた。

昨夜のことは、まるで夢のようだった。海沿いの隠れ家のようなホテル。波の音だけが響く静寂。そして、健一さんの、あの熱っぽい視線。

「君は、本当に綺麗だね。まるで、磨かれていない宝石みたいだ。」

そう言って、彼は美玲の顔を両手で包み込んだ。その指先には、彼女がこれまで知らなかった、強さと熱が宿っていた。

「もっと、俺に君のことを見せてほしい。君の、本当の姿を。」

健一さんの言葉は、美玲の心の奥底に眠っていた、純粋な欲望を呼び覚ました。それは、これまで社会の、両親の、そして夫の期待という鎖で縛られていた、彼女自身の魂が、解放される瞬間だった。

「私、こんなこと…初めてなんです。」

震える声でそう言った美玲に、健一さんは優しく微笑んだ。

「大丈夫。俺が、君を導いてあげる。」

その「導き」は、想像を遥かに超えるものだった。健一さんの手は、迷うことなく、美玲の身体の、まだ誰も触れたことのない場所をなぞっていった。肌と肌が触れ合うたびに、電流が走るような、痺れるような感覚。それは、これまで「清らかな」ものとして封じ込められていた、彼女自身の身体が、歓喜の声を上げているようだった。

「もっと、感じてごらん。君は、もっと喜ぶことができるんだから。」

健一さんの囁きは、まるで魔法の呪文のようだった。彼の言葉に導かれるまま、美玲は、これまで知らなかった自分自身の官能に身を委ねていった。一つ一つの刺激が、彼女の理性という薄い膜を破り、身体の奥深くに、熱く、燃え盛る炎を灯していく。

そして、訪れたのは、想像を絶する絶頂だった。それは、ただ快感という言葉で片付けられるものではない、全身を駆け巡る激しい震え。背徳感という甘やかな毒が、その快感をさらに増幅させた。愛する夫を裏切っているという罪悪感。しかし、それ以上に、自分自身を解放しているという、強烈な解放感。

「あ…っ！」

思わず漏れた声は、昨夜、何度となく繰り返された、吐息とも悲鳴ともつかない、歓喜の叫びだった。健一さんの、力強い奔放さは、彼女の抵抗する間もなく、しかし決して乱暴ではない、確かな意志を持って、美玲の身体を翻弄した。

「綺麗だ、美玲。本当に、綺麗だよ。」

そう言って、健一さんが彼女の濡れた頬を優しく拭った。その瞳には、賞賛と、そしてほんの少しの独占欲のようなものが宿っているように見えた。

「私…こんなこと、自分でも信じられないです。」

美玲は、まだ身体の火照りが収まらないまま、ぽつりと呟いた。

「信じられない？それは、君がまだ、君自身の本当の姿を知らなかっただけだよ。」

健一さんは、そう言って、美玲の唇に、優しくキスを落とした。それは、罪の味。しかし、同時に、何物にも代えがたい、甘美な味だった。

「この旅は、君が君自身を、もっと好きになるための旅なんだ。」

健一さんの言葉に、美玲は、胸の奥が温かくなるのを感じた。それは、夫に裏切られたという罪悪感とは、全く別の、新しい感情だった。それは、自分自身を、初めて見つめ、肯定してくれた、そんな感覚。

窓の外は、すっかり明るくなっていた。青い空には、白い雲がゆっくりと流れている。まるで、何もなかったかのように、穏やかな朝の光が、部屋中に降り注いでいた。

美玲は、健一さんの腕の中で、静かに目をつむった。この旅が、これから自分に何をもたらすのか、まだ分からない。しかし、確かに、彼女の中の何かが、変わり始めていた。これまで、誰かのために、誰かの期待に応えるために生きてきた彼女が、初めて、自分自身の欲望に、そして自分自身の身体に、耳を傾けることを始めたのだ。

「次は何をしたい？どこへ行きたい？」

健一さんの声に、美玲はゆっくりと目を開けた。その瞳には、昨夜までの、どこか翳りのあった光とは違う、新しい光が宿っていた。それは、禁断の夜明けの光。そして、その光は、彼女の人生に、新たな、しかし抗いがたい魅力的な世界を、静かに、しかし確実に、開かせようとしていた。