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## 露天風呂の吐息

初夏の日差しが、新緑の山々を優しく撫でていた。古びた木造の建物が趣ある温泉旅館「月影」の暖簾をくぐったのは、偶然にも、私と彼女だった。

彼女、佐藤春香。その名前を聞いたのは、数日前。夫の友人の集まりで、少しだけ言葉を交わしただけだった。眼鏡の奥に宿る、穏やかで知的な瞳。飾らない、それでいてどこか親しみやすい雰囲気。まさに「どこにでもいそうな、感じの良い奥さん」。そう、あの時、私はそう思ったのだ。

しかし、今、彼女は私の隣にいる。夫が急な出張で留守になった隙をついて、急遽決まった「日帰り温泉旅行」。それが、いつの間にか「一泊二日の旅」に変わっていた。もちろん、理由があった。夫の友人という関係性。そして、あの日の彼女の、ほんのわずかに揺れた視線。

「わあ、素敵なお宿ね」

春香さんの声は、期待に弾むように響いた。彼女は、旅館のロビーで、きょろきょろと辺りを見回している。淡いピンクのブラウスに、落ち着いたベージュのスカート。やはり、どこにでもいそうな、感じの良い奥さんだ。

「予約しておきました。露天風呂付きの離れです」

私の言葉に、春香さんはぱっと顔を上げた。その顔に浮かんだ、無邪気な笑顔に、私の心臓は不謹慎にも早鐘を打った。

部屋に案内され、浴衣に着替える。二人きりになった部屋で、流れる時間は妙にゆっくりと進んでいた。春香さんは、窓の外の景色を眺めながら、静かに浴衣の帯を結んでいる。その仕草一つ一つが、なぜか私の心をざわつかせた。

「あの、本当に、これで良かったんでしょうか…」

ふいに、彼女が私の方を向いて呟いた。その声には、不安と、それ以上の何か、抗えない誘惑のようなものが混じっているように聞こえた。

「大丈夫ですよ。誰も、何も言いません」

私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。しかし、その言葉が、春香さんの背中を押したことは明らかだった。

露天風呂は、期待以上に素晴らしかった。岩に囲まれた湯船からは、湯気が立ち上り、周囲の木々の緑をぼんやりと浮かび上がらせている。月影という名にふさわしく、静かで、神秘的な空間だった。

「あー、気持ちいい…」

春香さんは、湯船に身を沈め、目を閉じた。肩まで浸かった彼女の姿は、湯気の中にぼんやりと浮かび上がり、まるで女神のようだった。淡いピンクのブラウスから覗く鎖骨のあたりが、湯気で湿っている。

私は、彼女の隣にそっと腰を下ろした。湯の熱が、じんわりと全身に伝わってくる。肌を撫でる湯の感触が、異常に生々しく感じられた。

「佐藤さん…」

私の声に、春香さんがゆっくりと目を開けた。その瞳には、先ほどまでの不安の色は消え、代わりに、熱っぽい光が宿っていた。

「はい…」

彼女の声は、先ほどよりも低く、艶やかになっていた。

湯気の中で、私たちの視線が絡み合う。言葉は必要なかった。お互いの体が、この静寂の中で、抗えない力に引き寄せられていることを、私たちは理解していた。

春香さんの指先が、そっと私の肩に触れた。その指先から伝わる微かな震えに、彼女もまた、私と同じように、いや、それ以上に、この状況に身を委ねようとしているのだと感じた。

「…私、こんなこと、初めてなんです」

春香さんの唇が、微かに震えている。しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の瞳は、大胆な好奇心と、隠しきれない欲望に燃えていた。

私の手が、彼女の濡れた肌にそっと触れる。湯の熱とは違う、生々しい温もり。その温もりは、私の指先から、腕を伝って、全身に広がっていくようだった。

春香さんは、何も言わずに、私の手に自分の手を重ねた。その指先が、私の指の間を、ゆっくりと、ねっとりと絡みついてくる。その感触に、私の体は、まるで火がついたように燃え上がった。

唇が、自然と、お互いを求め合う。湯気の中で、私たちの唇が触れ合った。柔らかく、熱い、春香さんの唇。その感触に、私の理性のタガは、完全に外れてしまった。

「あ…」

春香さんの吐息が、私の唇に甘く響く。絡みつく唇は、次第に大胆になり、舌が、互いの奥深くへと侵食していく。湯の感触とは全く違う、生命力に満ちた、熱い感触。

春香さんの脚が、私の脚に絡みつく。水中で、互いの肌が擦れ合う感覚。それは、これまでに経験したことのない、強烈な刺激だった。

私たちは、湯船の中で、もつれ合うように抱き合った。肌と肌が触れ合うたびに、電流が走るような感覚。湯気と、お互いの熱気で、視界はぼんやりとしていたが、その分、肌で感じる感触が、より一層鮮明に、私を支配していた。

春香さんの体が、私の胸に押し付けられる。その鼓動が、私の胸に響き、私自身の鼓動と重なる。一体感。それは、単なる肉体的な接触を超えた、魂の共鳴のようなものだった。

「ん…あ…」

春香さんの声が、喘ぎへと変わっていく。その声に呼応するように、私もまた、激しい衝動に駆られていた。

何度も、私たちは、その熱に身を任せた。湯船の中で、肌を重ね、声を上げ、互いのすべてを求め合った。溢れ出す愛液が、湯船の中に広がり、私たちは、その熱に酔いしれた。

春香さんの潮吹きは、まるで止まることを知らなかった。その激しさに、私は、自分自身もまた、その奔流に呑み込まれていくような感覚に襲われた。

一晩中、私たちは、この禁断の愛に身を委ねた。月影が、静かに私たちの過ちを見守っているかのようだった。

翌朝、窓の外は、昨日の雨が嘘のように晴れ渡っていた。しかし、私たちの心の中には、あの夜の熱が、まだ生々しく残っていた。

春香さんの顔には、昨夜までの彼女とは違う、妖艶な色気が漂っていた。眼鏡の奥の瞳は、まだ昨夜の熱を宿している。

「…もう、元には戻れないんでしょうね」

春香さんが、静かに呟いた。その声には、後悔よりも、むしろ、ある種の満足感が滲んでいた。

私もまた、同じ気持ちだった。あの夜、私たちは、互いの心の奥底まで、剥き出しにした。もう、あの頃には戻れない。しかし、その「戻れない」という事実が、妙に心地よかった。

旅館を出る時、春香さんは、私に微笑みかけた。それは、あの日の「感じの良い奥さん」の笑顔ではなく、すべてを知り尽くした、大人の女性の、蠱惑的な微笑みだった。

私たちの、一泊二日の不倫旅行。それは、甘く、そして恐ろしい、二度と忘れられない、禁断の記憶として、私たちの心に深く刻み込まれたのだった。