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## 偽りの聖域、そして煉獄の叫び

初夏の強い日差しが、リビングの磨かれた床に乱反射していた。涼子（りょうこ）の白い肌が、その光を受けて一層輝きを増している。彼女は、ソファに深く腰掛け、足を組んでいた。その様は、まるで女王のようだった。俺、健一（けんいち）は、彼女の隣に座っているのが精一杯で、その高飛車な態度にいつものように萎縮していた。

「あなた、本当に何もできないのね」

涼子からの侮蔑の言葉は、甘く、しかし棘のある毒のように、俺の心を穿った。彼女は俺の妻であり、俺が唯一心を許せる人間だと思っていた。だが、それは俺の愚かな思い込みだったのだろう。彼女は常に俺を上から見下ろし、俺の存在価値を否定するかのような言葉を浴びせてきた。今日の言葉も、いつものように俺の自尊心を削り取るためのものだった。

「そんなこと言われても…」

反論しようとしたが、その言葉は喉の奥に詰まってしまった。俺は、彼女の前に立つと、どうしても言葉を失ってしまう。彼女の美貌、知性、そしてその高慢さ。そのすべてが、俺を圧倒していた。

「あら、まだ何か言いたいの？ その無能な顔で私に何か訴えたいことでもあるわけ？」

涼子は、嘲るように俺を見下ろした。俺の顔面に突きつけられた彼女の言葉は、まるで鞭のように俺のプライドを叩きつけた。こんな屈辱に耐え続けるのは、もう限界だった。しかし、俺には他に何もなかった。彼女との結婚は、両親が決めた政略結婚のようなものだった。俺は、彼女の美しさと、何不自由ない生活のために、この屈辱に耐え続けてきた。

ある日、俺の人生を決定づける出来事が起こった。会社で、俺が担当していたプロジェクトで、重大なミスが見つかったのだ。それは、俺の責任というよりは、組織全体の構造的な問題に起因するものだった。しかし、責任のなすりつけ合いの末、そのすべてが俺に押し付けられた。俺は、あっという間に会社の信用を失い、解雇された。

絶望の淵に立たされた俺は、藁にもすがる思いで涼子に助けを求めた。しかし、彼女の反応は俺の予想を遥かに超えるものだった。

「あなた、本当に役立たずね。私がどれだけあなたに恥をかかせているか分かっているの？」

彼女は俺を見ることなく、まるで虫けらを払いのけるような仕草でそう言った。そして、彼女は俺に離婚を突きつけた。俺は、全てを失った。家族も、仕事も、そして、愛する妻さえも。

しかし、その時、俺の中に、今まで抑えつけられてきた怒りの炎が燃え上がった。俺は、このまま終わるわけにはいかない。俺を陥れた連中、そして俺を蔑ろにしてきた涼子に、必ずやり返してやる。

俺は、弁護士に相談した。幸いにも、俺を陥れた証拠となるデータが、偶然にも残っていたのだ。それは、プロジェクトの途中経過を記録したログデータだった。そのデータには、確かに俺のミスも含まれていたが、それ以上に、上司や同僚たちの不正な指示や、組織的な隠蔽工作の証拠が大量に含まれていた。俺はそのデータを持って、涼子の元へ向かった。

「涼子、俺は君に離婚される前に、君に全てを話さなければならないことがある」

俺の声は、以前とは違い、落ち着いていた。涼子は、少しだけ興味を引かれたような顔で俺を見た。

「何？ まさか、私の想像以上に酷いことでもしたわけ？」

彼女の言葉には、相変わらず侮蔑の色が混じっていた。しかし、俺はもう動じなかった。

「俺は、会社での不正を暴くための証拠を手に入れた。そして、その証拠は、君の父である社長にも関わるものだ」

俺の言葉に、涼子の顔色が変わった。彼女の父は、会社を一代で築き上げた人物だ。その父が不正に関わっているとなれば、彼女の立場も危うくなる。

「何を言っているの？ あなたがそんなことができるはずがない」

彼女は、依然として俺を信用していなかった。しかし、俺は冷静に、持っていたUSBメモリを彼女に差し出した。

「これを見てくれ。全てが明らかになる」

涼子は、恐る恐るUSBメモリを受け取り、リビングのパソコンに挿入した。彼女がデータを開くと、その顔からみるみるうちに血の気が引いていった。彼女の父の悪事が、そこには克明に記録されていた。

その夜、俺は涼子の父、そして会社の上層部を相手取った訴訟を起こした。世間は、俺が会社で起こしたミスを、涼子を陥れるための嘘だと騒ぎ立てた。涼子もまた、俺を非難する言葉をメディアに流した。しかし、俺は証拠を提示し、自らの潔白を証明した。そして、驚くべきことに、俺が持ち込んだデータは、涼子の父の不正をも暴き出したのだ。

裁判の結果は、俺の完全勝利だった。会社の不正は明るみに出され、涼子の父は逮捕された。会社は多額の賠償金を支払うことになり、涼子の人生も大きく変わった。彼女は、今まで築き上げてきたすべてを失ったのだ。

数日後、俺は涼子の家を訪れた。彼女は、以前の輝きを失い、憔悴しきっていた。彼女は、床に膝をつき、涙を流していた。

「ごめんなさい、健一…私が間違っていた…」

その言葉は、今まで俺が聞くことのなかった、切実な響きを持っていた。俺は、彼女の傍に歩み寄り、静かに見下ろした。

「君は、いつも俺を貶め、侮辱してきた。しかし、俺は、君が全てを失うまで、君を許すつもりはない」

俺の言葉は、彼女の心をさらに打ち砕いた。彼女は、もはや女王ではなかった。ただの、罪を犯した一人の女だった。

「お願い、許して…私、あなたのことが…」

彼女が絞り出すような声でそう言った時、俺の中に、長年溜め込まれていた怒りと悲しみが、一気に爆発した。俺は、彼女の顔を掴み、無理やり顔を上げさせた。

「君が、俺にどれだけ酷いことを言ってきたか覚えているか？ 俺が、どれだけ君の顔色を伺い、どれだけ君に怯えて生きてきたか！」

俺は、叫んだ。彼女の顔に、俺の怒りの唾が飛んだ。彼女は、もはや抵抗することもできず、ただ俺の言葉を聞いていた。

「お前は、俺を陥れ、俺の全てを奪おうとした。だが、結果的に、全てを失ったのはお前の方だ」

俺は、彼女に背を向けた。そして、冷たい声で言った。

「もう、君には何も残っていない。君のプライドも、君の地位も、そして、君の美しささえも。全ては、君自身の傲慢さの代償だ」

俺は、そのまま家を出た。後ろから、涼子の泣き叫ぶ声が聞こえた。しかし、俺は振り返らなかった。俺の心は、もう彼女のために泣くことはなかった。

数週間後、俺は新しい生活を始めていた。以前とは比べ物にならないほど、充実した毎日を送っていた。そんなある日、俺の携帯に、見知らぬ番号から着信があった。出てみると、それは涼子だった。

「健一…お願い、もう一度だけ、私にチャンスをくれない？」

彼女の声は、かすれていて、その中で感じるのは、絶望だけだった。しかし、俺はもう彼女の言葉に心を動かされることはなかった。

「悪いが、俺はもう君のことを愛していない。それに、君はもう俺にとって、何も意味のない存在だ」

俺は、きっぱりと言った。電話が切れ、静寂が戻ってきた。俺は、窓の外を見た。青い空が広がっていた。俺の心は、ようやく自由になった。あの偽りの聖域は崩壊し、俺は煉獄から這い上がったのだ。