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## 団地の午後の甘い罠

青葉台団地の５号棟３０２号室。梅雨の匂いが濃く立ち込める午後の日差しは、窓ガラス越しに部屋の中をぼんやりと照らしていた。佐藤美代子、３２歳。夫の健一とは結婚して７年になる。子供はまだいない。健一は大手メーカーに勤めていて、帰宅が遅い日も多い。最近は仕事のプロジェクトが佳境らしく、週末も家で仕事をしていることがほとんどだった。

「あーあ、また週末も仕事か…」

美代子はため息をつきながら、冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出した。リビングのテーブルに置かれた雑誌のページをなんとなくめくる。そこに掲載されていたのは、扇情的なタイトルが踊る記事だった。「団地妻に旦那さんの不満を聞く！」と銘打たれた、どこかの週刊誌の特集記事だ。

「ふん、誰がそんなことするわよ」

美代子は雑誌を投げ捨てるようにテーブルに置いた。しかし、その言葉とは裏腹に、胸の奥で何かがざわめいた。旦那に不満のない妻などいない、か。確かに、健一に不満がないわけではない。仕事人間になってしまったこと、そして何よりも、二人の間に「それ」がなくなってしまって久しいこと。

「○○が生まれて…、仕事が忙しくなって…。今ではすっかりSEXレス…。」

雑誌の文字が、まるで美代子自身の言葉であるかのように響いた。結婚当初は、夜の営みは毎日のようにあった。互いを求め合い、愛を確かめ合う時間。それが、いつの間にか「疲れた」という言葉で片付けられるようになった。健一が家にいても、リビングで別々にテレビを見たり、どちらかが先に寝てしまったり。美代子は、抱きしめてほしい、触れてほしい、ただそれだけなのに。

その時、インターホンが鳴った。

「どなたですか？」

美代子が尋ねると、受話器から明るく、しかしどこか挑発的な声が返ってきた。

「こんにちは！青葉台団地の秘密を暴く、探偵の山田と申します！ちょっとお話を聞かせてもらいたくて、お邪魔したんですが。」

探偵？美代子は首を傾げた。こんな団地で、一体誰がどんな秘密を抱えているというのだろう。好奇心に駆られ、美代子はドアを開けた。

そこに立っていたのは、肩まで伸びた黒髪を無造作に束ねた、年下風の男性だった。鋭い目つきは、しかしどこか人を食ったような笑みを湛えている。手には、いかにも「探偵」と書かれたような、古めかしいメモ帳とペン。

「えっと、どちら様で…？」

「あ、ごめんなさい、名乗るのが遅れました。山田と申します。この団地に住む奥様方に、旦那さんの『不満』について、こっそりお話を聞いているんです。あくまで、アンケート形式で、プライベートなことは一切お聞きしませんので、ご安心ください。」

山田と名乗る男は、そう言ってにっこり笑った。その笑顔には、どこか油断を誘うような、甘い響きがあった。

「不満、ですか…？」

美代子は思わず、先ほどの雑誌の言葉を思い出した。

「そうです。例えば、最近奥様方を悩ませているのは、旦那さんが仕事に夢中になりすぎるとか、家事の分担がうまくいかないとか。そういった、ちょっとした『不満』ですね。ちょっとしたお礼に、この高級チョコレートも用意しました。」

山田は、片手に持っていた紙袋から、キラキラと光るチョコレートの箱を取り出した。そのチョコレートは、美代子が普段はなかなか買えない、高級なものだった。

「そんな…、でも、私は別に…」

美代子は戸惑った。しかし、山田は強引に美代子の腕を掴むこともなく、ただ優しく、しかし断ることを許さないような口調で続けた。

「大丈夫ですよ。ちょっとした世間話のつもりで。それに、ここで話すのが恥ずかしければ、車に乗って、もう少し落ち着いた場所で話しましょうか？この辺りは、話していると聞かれないか心配ですからね。」

車、という言葉に、美代子の心臓がどきりとした。車に連れ込み距離をつめる。雑誌の、あの挑発的な言葉が、脳裏をかすめた。しかし、妙に惹かれるものがあった。夫への不満を、誰かに聞いてもらいたい。その欲求が、静かに、しかし確実に美代子の中に芽生えていた。

「…車、ですか？」

「ええ。ちょうど、すぐそこに私の車があります。数分で戻ってこられますよ。それに、そこで話せば、誰にも聞かれずに、もっと本音で話せるはずです。」

山田は、美代子の迷いを察したかのように、さらに甘く囁いた。その声には、抗いがたい魅力があった。美代子は、断ることができなかった。

「…わかりました。でも、本当に数分ですからね？」

「もちろんです。約束します。」

山田は、満面の笑みを浮かべた。

二人が団地の駐輪場に停められた、黒いセダンに乗り込むと、車内はすでに冷房が効いていて、心地よい音楽が流れていた。車はゆっくりと団地を出て、静かな住宅街へと向かった。

「さて、佐藤さん。旦那さんのことで、一番不満に思っていることは何ですか？」

山田は、運転席から視線を外さずに尋ねた。美代子は、窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「夫は、仕事が…本当に忙しくて。家にいても、ずっとパソコンとにらめっこ。話しかけても、上の空だったり。もう、私に興味がないんじゃないかって、時々思ってしまいます。」

「なるほど。それは辛いですね。結婚してから、夜はすっかりご無沙汰気味、ですか？」

山田の質問は、核心を突いていた。美代子は、顔を赤らめながらも、静かに頷いた。

「ええ…。もう、半年以上は…。でも、私、そういうことを求めてしまうと、なんだか自分がダメな女みたいで…。」

「そんなことはありませんよ。女性なら、誰だって、愛されたい、求められたいと願うのは自然なことです。むしろ、奥様がそういう気持ちを抱えているのに、旦那さんがそれに気づいてあげられないとしたら、それは旦那さんの側に問題があるんです。」

山田は、優しく、しかし断定するように言った。その言葉に、美代子の心は慰められた。

「そうでしょうか…。でも、私だって、夫に不満ばかり言っているわけじゃなくて…。」

「わかります。でも、人間は、満たされない気持ちがあると、どうしてもそこに目が行ってしまうんです。特に、性欲というものは、切実なものですからね。今、奥様は、性欲が急上昇中の、乱れ妻、という状態なのではないでしょうか？」

「乱れ妻…」

その言葉に、美代子はドキッとした。まさに、そうだった。夫からの愛情が減り、肉体的な触れ合いもなくなったことで、美代子の中の「女性」としての欲求が、静かに、しかし確かに高まっていたのだ。誰かに、この満たされない気持ちを埋めてほしい。そんな、秘めやかな欲望が、彼女の心を支配し始めていた。

「私、夫に…、なんだか、もう、飽きられてしまったのかなって…。」

美代子は、ついに涙ぐみそうになった。山田は、運転を続けながら、静かに言った。

「大丈夫です。奥様は、とても魅力的です。このまま、奥様の『弱みに付け込み押しまくる』ような男性が現れたら、どうしますか？」

「弱みに付け込み…押しまくる？」

美代子は、山田の言葉に、ある種の恐怖と、それ以上に抗いがたい魅力を感じていた。雑誌の、あの言葉が、現実として迫ってくるようだった。

「そう。例えば、私のような人間が、奥様の弱みにつけ込んで、もっと大胆に、奥様を求めるとしたら…」

山田は、そう言って、そっと美代子の手に自分の手を重ねた。その手は、意外にも温かく、そして力強かった。

「あなたは、それを受け入れることができますか？もしかしたら、それが、奥様が今求めているものなのかもしれませんよ。」

美代子は、山田の言葉に、ただただ圧倒されていた。夫への不満、埋められない心の隙間、そして高まる性欲。それらが、山田の言葉によって、一気に具現化されたかのようだった。

「私…、私…」

美代子は、言葉を失った。山田は、美代子の手を握ったまま、ゆっくりと車を停めた。そこは、人通りのない、静かな公園の脇だった。

「奥様、あなたは、ご主人との関係に、満足していますか？」

山田は、真剣な眼差しで美代子を見た。美代子は、首を横に振った。

「いいえ…」

「では、ここで、その満たされない気持ちを、解放してみませんか？私なら、奥様を、大切に、そして…大胆に、満たしてあげられますよ。」

山田は、美代子の頬にそっと手を伸ばした。その指先が、美代子の肌に触れた瞬間、美代子の体は、まるで稲妻に打たれたかのように、震えた。

「妊娠しちゃったら、ゴメンね…。」

山田は、そう呟きながら、美代子の唇に、ゆっくりと顔を近づけた。美代子は、抵抗するでもなく、ただ、その甘い罠に、身を委ねた。団地の午後の、静かで、そして乱れた時間。それは、美代子にとって、禁断の果実のように、甘く、そして危険な香りを放っていた。

車内の音楽は、さらにボリュームを増し、二人の吐息と絡み合って、湿った空気に溶けていった。団地の午後は、静かに、そして濃厚な熱を帯びていく。