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## 晩夏の残響

蝉時雨が容赦なくアスファルトを叩きつける。八月の終わり、都心の片隅にある小さな編集プロダクションは、空調の効きも悪く、熱気に包まれていた。デスクに突っ伏したまま、佐竹は重い瞼をこじ開けた。モニターには、見慣れた編集ソフトの画面が映っている。だが、佐竹の頭の中は、数日前から何度もリピート再生される、あの忌まわしい動画で埋め尽くされていた。

「佐竹、ちょっといいか」

編集長の梶原の声に、佐竹は反射的に身を固くした。梶原は、いつも以上に疲れた顔で立っていた。

「例の件、やっぱりウチで対応することになった。炎上対策チームが立ち上がって、お前にも手伝ってほしいらしい」

佐竹の心臓がドクンと跳ねた。例の件。それは、ネットを騒がせている、例の「不倫動画流出事件」のことだった。

始まりは、匿名掲示板に投稿された一本の動画だった。映像はひどく粗く、手ブレもひどかったが、そこに映っていたのは、明らかに不倫関係にあると思われる男女三人だった。場所は恐らくシティホテルのスイートルーム。高級なシャンパンがグラスに注がれ、女たちは着飾って笑いあっている。男はカメラに向かって饒舌に語りかけ、女たちもそれに嬌声をあげる。ただ、映像の内容は、ただの下品な遊びの記録というだけではなかった。カメラを回している男が、明らかに女たちを見下し、弄んでいる様子が伝わってきたのだ。

動画は瞬く間に拡散され、炎上した。美熟女と呼ばれる年齢の女たちが、性的な消費の対象として晒されたこと、そして、それを撮影し、面白がっている男の姿が、多くの人々の怒りを買った。特定班と呼ばれるネットユーザーたちが、動画に映っていた情報から、関係者の身元を特定し始めた。

そして、数日後、事件は悲劇的な結末を迎えた。動画に映っていた女性の一人が、自宅マンションで自殺したのだ。

佐竹は、炎上対策チームの一員として、流出した動画の削除依頼や、関係者への誹謗中傷の監視、デマ情報の拡散防止など、様々な業務に携わることになった。毎日、目を覆いたくなるような書き込みを読んでいるうちに、佐竹の精神は疲弊していった。

佐竹自身、過去に似たような経験があった。大学時代、軽い気持ちで友人と悪ふざけをしている動画をSNSにアップしたところ、予想外の炎上を招いてしまったのだ。幸い、すぐに動画を削除し、謝罪したことで、事態は沈静化したが、あの時の恐怖と後悔は、今も佐竹の心に深く刻まれている。

だからこそ、今回の事件には、他人事ではない、深い感情を抱いていた。

ある日、佐竹は、動画をアップした人物の情報を入手した。男の名前は、木村。被害者の女性の一人、美咲と不倫関係にあった男だった。木村は、美咲との一方的な別れに腹を立て、復讐のために動画をアップしたのだという。

佐竹は、木村のSNSを調べてみた。そこには、美咲との楽しかった頃の写真や、未練がましい言葉が綴られていた。しかし、その奥底には、美咲に対する深い憎しみと、自らの行為を正当化しようとする歪んだ感情が渦巻いていた。

佐竹は、木村にメールを送った。

「私は、今回の事件の炎上対策チームの一員です。あなたに直接お話を聞きたい」

数日後、佐竹は、都内の喫茶店で木村と会った。木村は、痩せこけて、憔悴しきっていた。

「なぜ、あんなことをしたんですか」

佐竹は、静かに問いかけた。

木村は、深く俯いたまま、口を開いた。

「許せなかったんです。あいつが、俺を捨てたことが。あいつは、俺を遊びだと思っていたんだ。だから、復讐してやったんです」

木村の声は、震えていた。

「でも、それであの子は死んでしまった。あなたは、人を殺したのと同じだ」

佐竹の言葉に、木村は顔を上げた。その目は、絶望に染まっていた。

「わかってる。わかってるんだ。でも、もう止まらないんだ。俺は、もう、どうしたらいいかわからないんだ」

佐竹は、木村の言葉を聞きながら、深い悲しみに包まれた。木村もまた、今回の事件の被害者なのだ。美咲との関係を清算できなかったばかりに、自らを破滅させてしまった男。

佐竹は、木村に言った。

「あなたは、自分の罪を償わなければならない。警察に自首してください。そして、被害者の方々、そして、亡くなった美咲さんのために、心から謝罪してください」

木村は、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと頷いた。

事件から数ヶ月後、木村は逮捕された。佐竹は、裁判で証人として出廷し、木村の犯行動機や、事件後の様子を証言した。

裁判の結果、木村には執行猶予付きの判決が言い渡された。木村は、その後、精神科に通いながら、社会復帰を目指しているという。

事件は、多くの人々に深い傷跡を残した。佐竹もまた、今回の事件を通じて、インターネットの持つ暴力性、そして、人間の心の脆さを改めて痛感した。

晩夏の残響は、いつまでも佐竹の心に響き続けた。あの蝉時雨のように、容赦なく、そして、哀しく。佐竹は、再び編集の仕事に戻った。しかし、あの忌まわしい動画は、決して佐竹の記憶から消えることはないだろう。そして、佐竹は、二度と、同じような悲劇が繰り返されないように、静かに、そして、強く誓ったのだ。

（字数：3045文字）