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## 湯けむりと初恋の微熱

「あー、極楽極楽！」

湯船に身を沈め、健一は思わずため息を漏らした。下町の古びた銭湯「朝日湯」。蒸気で霞む鏡には、煤けたタイル、湯気で湯気だらけの壁、そして何よりも、常連のおじさんたちの汗ばんだ肌が映し出されている。健一もその一人、齢五十八歳。人生の半分以上をこの湯船で過ごしてきたと言っても過言ではない。

「健一さん、今日もご機嫌っすね！」

向かいに座っていた、同じく常連の佐藤がニヤリと笑った。佐藤は健一より少し年下だが、この朝日湯ではすっかり顔馴染みだ。

「そりゃあ、こうして毎日、日頃の疲れを癒せるんだからな。お前さんも、仕事大変だろう？」

「まあ、ぼちぼちっすよ。でも、こういう温かいお湯に浸かると、嫌なことも全部流れていく気がするんですよね。」

二人はしばらく、他愛ない世間話に花を咲かせた。銭湯は、彼らにとって単なる体を洗う場所ではない。仕事や家庭の悩み、日々の愚痴を、湯気と共に吐き出すための、まさに「憩いの場所」だった。

その日、朝日湯にはいつもと違う空気が流れていた。入口の暖簾をくぐってきたのは、見慣れない二人組。清楚なワンピースに身を包んだ、まるで天使のような若い女性たちだった。一人は、細い腕をすらりと伸ばし、濡れた髪を優しくかき上げている。もう一人は、少し照れたような表情で、周りをキョロキョロと見渡していた。

「え、ここ…銭湯？」

「そうみたい。なんか、テレビで見たことある。」

彼女たちの会話が、湯気の中からかすかに聞こえてきた。健一と佐藤は、思わず顔を見合わせた。まさか、こんな場所、こんな時間に、こんな綺麗な女性たちが現れるとは。

「おい、あれ、もしかして…」

佐藤が小声で囁いた。健一は、彼女たちの纏う空気に、どこか見覚えがあった。SNSで時折見かける、いわゆる「裏垢女子」と呼ばれる存在。普段は隠された素顔や、ちょっぴり大胆な一面を共有する、現代の匿名空間の住人だ。まさか、彼女たちが、この汗臭い、おじさんだらけの銭湯に足を踏み入れるなんて。

「なんか、ちょっと…緊張するな。」

健一は、自分の汗ばんだ体を隠すように、そっと湯船の縁に手をかけた。隣にいた佐藤も、普段の飄々とした様子を失い、そわそわしている。

「でも、なんか、不思議な光景だな。」

佐藤が呟いた。清楚な姿と、この古びた銭湯のコントラスト。湯気越しに見る彼女たちの表情は、普段のSNSとは全く違う、どこか無垢で、そして少しだけ好奇心に満ちているように見えた。

「もしかしたら、彼女たちも、何かを求めてここに来たのかもしれないな。」

健一は、ぼんやりとそう思った。日常からの逃避、非日常への憧れ。あるいは、単に「珍しい体験」をしたかっただけなのかもしれない。

その夜、健一の自宅でも、奇妙な出来事が起こっていた。健一は、一人暮らし。娘の沙耶は、大学進学を機に一人暮らしを始めたばかりだった。しかし、週末になると、時折沙耶が友達を連れて遊びに来ることがあった。

「お父さん、今日、友達連れてくるから！夕飯、なんか作っといてくれる？」

数日前、沙耶からそんな連絡が入っていた。健一は、娘と、その友達のために、張り切って夕飯の準備をしていたのだ。

「ただいまー！」

玄関のドアが開く音と、沙耶の元気な声。それに続いて、もう一人の女性の声も聞こえる。

「お邪魔しまーす。」

健一がリビングへ行くと、そこには沙耶と、見慣れない女性が立っていた。沙耶の友達、というよりは、沙耶とはまた違う、もっと大人びた雰囲気の女性だった。

「お父さん、この子、大学のサークルで一緒の、美咲ちゃん。今度、お父さんのこと紹介したいなって思って！」

沙耶は、嬉しそうにそう言った。美咲という女性は、沙耶とは対照的に、落ち着いた、しかしどこか色気のある雰囲気を醸し出していた。

「はじめまして、美咲です。いつも沙耶からお父さんのお話は聞いています。」

深々とお辞儀をする美咲の横顔に、健一は思わず見惚れてしまった。

「いやいや、こちらこそ。どうぞ、ゆっくりしていってください。」

健一は、内心、動揺していた。娘の友達というには、あまりにも魅力的な女性だったからだ。

夕食後、沙耶と美咲は、沙耶の部屋で話したいことがあると言い、リビングに残った健一に「ちょっとだけ、いい？」と断りを入れて部屋へ入っていった。

「なんか、急にお腹空いちゃったね。お父さん、冷蔵庫に何かある？」

しばらくして、美咲がリビングへ戻ってきた。沙耶は、まだ部屋にいるらしい。

「ああ、ちょっと待ってな。何かあるかな…」

健一が冷蔵庫を開けようとしたその時、沙耶の部屋の方から、微かに物音が聞こえた。そして、

「きゃっ！」

沙耶の、驚いたような、しかしどこか楽しんでいるような声が響いた。

「どうした、沙耶！」

健一が慌てて部屋へ駆けつけると、そこには驚くべき光景が広がっていた。沙耶と美咲が、二人で、沙耶の部屋のクローゼットの前で、衣装を広げている。そして、そのクローゼットの扉が、少しだけ開いており、中には、色とりどりの、しかしどれもこれも、沙耶の普段の服装とは明らかに違う、露出度の高い、セクシーな衣装が並んでいた。

「お、お父さん…！？」

沙耶は、顔を真っ赤にして、言葉を失っている。美咲も、少し驚いた表情だが、その瞳には、どこか悪戯っぽい光が宿っていた。

「ご、ごめんね、お父さん。ちょっと、沙耶の服、借りようと思って…」

美咲は、そう言って、一枚の、肩から胸元が大きく開いた、黒いレースのワンピースを手に取った。

「これ、沙耶のじゃないの？」

「ううん、これは、あたしの。この前、ネットで買ったんだけど、まだ着てなくて。」

美咲は、そう言って、沙耶に笑顔を向けた。沙耶は、さらに顔を赤らめ、俯いてしまう。

「いや、あの、その…」

健一は、どう声をかけていいか分からず、ただ立ち尽くしていた。目の前には、娘の友達が、娘の部屋で、娘の服ではない、しかし娘のクローゼットに紛れ込ませていた、セクシーな衣装を手に、楽しそうに笑っている。

「ねえ、沙耶。これ、着てみない？」

美咲は、そのワンピースを沙耶に差し出した。沙耶は、戸惑いながらも、そのワンピースを受け取った。

「でも…」

「大丈夫だよ。お父さん、ちょうど今、ちょっと席を外してたんだから。」

美咲は、そう言って、健一にウィンクをした。健一は、そのウィンクに、思わずドキッとしてしまう。

「いや、あの…私は、別に、何も…」

健一は、慌ててそう答える。しかし、美咲の目は、健一の動揺を見抜いているかのようだった。

「ふふ、お父さん、顔、真っ赤だよ？」

美咲は、そう言って、沙耶の肩に手を置いた。沙耶は、さらに顔を赤くし、俯いたまま、そのワンピースに手を伸ばす。

その瞬間、健一の脳裏に、朝日湯の湯気と、清楚な裏垢女子たちの姿が、鮮明に蘇った。湯けむりの向こうで、彼女たちは何を思い、何を求めていたのだろうか。そして、今、目の前で、娘の友達が、娘の服ではない、しかし紛れもなく「親密な」衣装を手に、娘に微笑みかけている。

「…お父さんも、何か、着てみる？」

美咲が、突然、そんなことを言った。沙耶は、思わず顔を上げた。

「え…？」

「ほら、お父さん、最近、ちょっとお腹周り、気にしてるんでしょ？こういう、ちょっとピタッとしたシャツとか、似合うと思うんだ。」

美咲は、そう言って、クローゼットの奥から、黒い、光沢のある素材の、少しタイトなシャツを取り出した。それは、健一が普段着るような服とは、全く違うものだった。

「いや、あの、私は、そういうのは…」

健一は、再び動揺する。しかし、美咲の目は、真剣だった。

「いいじゃない、お父さん。たまには、そういうのも。沙耶だって、お父さんが、おしゃれになったら嬉しいと思うよ？」

美咲は、そう言って、沙耶の方を見た。沙耶は、まだ顔を赤くしているが、その瞳には、かすかな期待の色が浮かんでいた。

「そうだね、お父さん。美咲ちゃんの言う通りだよ。ちょっと、見てみたいかも。」

沙耶の言葉に、健一は、抗うことができなかった。目の前には、娘と、その友達。そして、彼女たちの、どこか大胆で、しかし純粋な好奇心。それは、まるで、隠されていた扉が開いたような、そんな感覚だった。

「…分かったよ。」

健一は、かすかに震える声でそう答えた。美咲は、満面の笑みを浮かべ、そのシャツを健一に手渡した。

その夜、健一は、娘の部屋で、娘の友達と一緒に、普段とは全く違う「服」を着て、家族でもない、しかし家族のような、不思議な時間を過ごした。湯けむりの向こうに見た、清楚な裏垢女子たちの姿。そして、目の前で繰り広げられる、予想外の展開。それは、健一にとって、人生における「至極の結末」とも言える、忘れられない一夜となった。

（了）