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## 熟成の甘美

「…だから、君なんだよ」

監督は、グラスに残った琥珀色の液体をゆっくりと回しながら、そう呟いた。その声は、長年映画界の喧騒に揉まれてきた者特有の、わずかに掠れた、しかし確かな響きを持っていた。

俺、新藤は、業界歴10年の現役監督。これまで数えきれないほどの女優やモデル、そして一般の応募者たちと仕事をしてきた。華やかな世界で、キラキラと輝く才能の卵たちを数多く世に送り出してきた自負はある。しかし、監督が今、俺に語りかけている「君」は、そんな輝かしい人々とは少し違う。

「あのね、新藤」監督は、俺の目をじっと見つめた。「若い頃はね、そりゃあ、可愛くて、キラキラした子に目が行きがちだったよ。彼女たちをどう撮れば、その輝きを最大限に引き出せるか、そればかり考えてた。あの頃は、自分も若かったからかな。情熱が、勢いが、何よりも大事だと思ってた」

監督は、ふっと息をついた。その横顔には、年輪を刻んだ男の深みが滲んでいる。

「でもね、歳を重ねると、見方が変わってくるんだよ。経験ってやつかな。色んなものを見てきて、色んな経験をしてきて、ようやく気づいたことがある」

監督は、グラスをテーブルに置いた。カチャン、という乾いた音が、静かなバーに響いた。

「オジサンになったら、普通の顔の女が一番エロく感じるんだよね」

その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。監督の口から、こんな率直で、ある意味で挑発的な言葉が出るとは思ってもみなかった。

「…どういう意味でしょうか？」俺は、努めて冷静に尋ねた。

監督は、悪戯っぽく笑った。「そのままの意味だよ。なんていうか、特別に美人ってわけじゃない。どこにでもいそうな、普通の顔。でもね、そういう子ほど、男が普段求めてこないんだよ」

「普段、求めてこない…？」

「そう。広告のモデルみたいに、常に完璧な美貌を求められるわけでもない。SNSで『いいね』を稼ぐために、常に自分を飾る必要もない。そういう子たちは、ある意味で、自然体なんだ」

監督は、少し身を乗り出した。「そしてね、そういう子たちが、ふとした瞬間に見せる表情、仕草。それが、たまらなくエロく感じるんだよ。普段、意識されてないからこそ、それが急に際立つ。まるで、隠された宝物を見つけたような衝動に駆られるんだ」

俺は、監督の言葉に耳を澄ませた。確かに、監督の過去の作品には、一見地味な役柄でありながら、観る者の心を掴んで離さない女優たちがいた。彼女たちは、派手さはないものの、内側から滲み出るような、静かで深みのある魅力を放っていた。

「例えば、僕が撮った『静かな時間』という作品があっただろう？」監督は、俺に問いかけた。「あの時の主人公を演じた、女優の佐藤さん。彼女、決して美人コンテストの類で優勝するようなタイプじゃない。でもね、あの作品で、彼女が見せた、雨に濡れた窓の外をぼんやりと見つめる横顔。あの表情に、どれだけの男が心を奪われたか」

佐藤さん。俺も、あの作品は覚えている。派手な演出もなく、ただひたすらに日常の機微を描いた作品だった。佐藤さんの演技は、決して大げさではなかったが、その静かな佇まいの中に、言葉にならない孤独や諦め、そしてかすかな希望が宿っているように見えた。

「あの時、彼女は30代後半だったかな。もう、若い女優のように、初々しさで勝負する年齢じゃない。でも、だからこそ、人生の経験が醸し出す、あの色気が出たんだと思うんだ」監督は、グラスを手に取った。「男が普段、あまり意識してこなかったから、セックスとなったら、それが一気にエロいんだよ（笑）」

監督は、そう言って豪快に笑った。その笑い声には、長年の経験から得た、ある種の悟りのようなものも感じられた。

「もちろん、若い子たちの輝きも、それはそれで素晴らしい。彼女たちの瑞々しさ、可能性に満ちた姿は、僕たちを魅了する。でもね、そういうのは、いわば『旬』のようなものだ。いつかは、その輝きも落ち着いてくる。そして、その落ち着きの中に、また別の美しさ、別のエロスが生まれるんだ」

監督は、俺の顔を覗き込んだ。

「新藤、君も、そろそろそういう『熟成』の魅力に気づき始めているんじゃないか？」

その言葉に、俺はドキッとした。確かに、最近、俺の映画の好みも、少しずつ変化してきたように感じていた。派手なアクションや、刺激的な展開よりも、人間ドラマの奥深さ、登場人物の心理描写に惹かれることが増えた。そして、それは、監督が言うところの「熟成」の魅力に、俺自身も無意識のうちに惹かれているということなのかもしれない。

「監督がおっしゃる『熟成』というのは、具体的にどのようなものでしょうか？」俺は、さらに掘り下げようとした。

「それはね、経験が作り出す深みだよ。人生の喜びも、悲しみも、後悔も、全部が混ざり合って、その人だけの独特の味になる。それは、表面的な美しさとは違う。内側から、静かに、でも確実に、その人を輝かせるものだ」

監督は、目を閉じた。

「例えば、さっき話した佐藤さん。彼女は、決して美人ではない。でも、あの作品で、彼女が演じた役柄は、多くの女性の共感を呼んだ。それは、彼女の『普通の顔』が、観客自身の姿を映し出していたからかもしれない。そして、その『普通』の中に、彼女が抱えてきた人生の機微が、静かに、でも強く、滲み出ていたんだ。それが、男にとっては、たまらなくエロいんだよ」

監督は、再び目を開けて、俺に微笑みかけた。

「若い頃は、単純な美しさ、輝きに惹かれた。でも、歳を重ねると、もっと複雑で、深みのあるものに惹かれるようになる。それは、人間関係も同じだし、もちろん、女性に対しても同じだ」

「監督が、今まで撮られた方々の中で、特に良かったというのは、そういう方々なのでしょうか？」俺は、監督の言葉の核心に迫ろうとした。

「そうだよ。もちろん、キラキラした若い子たちも、それぞれに素晴らしい経験をくれた。でも、もし『特別』と言われたら、それはやはり、あの『熟成』の魅力を持った子たちかな。彼女たちは、僕に、人生の豊かさを教えてくれた」

監督は、グラスの残りを一口で飲み干した。

「彼女たちの、普段は隠されている、その人だけの『エロス』。それを引き出すのが、監督の仕事なんだ。そして、それを引き出した時、僕自身も、また新しい発見をする。それは、何物にも代えがたい喜びなんだよ」

俺は、監督の言葉を反芻しながら、自分自身のこれまでのキャリアを振り返っていた。確かに、俺もまた、若い才能の発掘と育成に情熱を燃やしてきた。しかし、監督の言葉を聞いていると、俺自身もまた、見落としていた、あるいは、まだ気づいていない「熟成」の魅力を、これから探求していくべきなのかもしれない、そんな予感が胸をよぎった。

「監督、その『熟成』の魅力を、もっと深く知りたいです」俺は、真剣な眼差しで監督に言った。

監督は、俺の言葉に、満足そうに頷いた。

「いいだろう。君にも、その『熟成』の甘美さを、存分に味わわせてやろう」

その夜、俺は監督から、数々の「熟成」の物語を聞いた。それは、映画の登場人物たちの物語であり、同時に、監督自身の人生の物語でもあった。そして、俺は、監督が語る、あの「普通の顔」の女性たちの、静かな、しかし力強いエロスに、深く魅了されていくのを感じていた。それは、若さの輝きとはまた違う、人生という時間をかけてゆっくりと醸成された、熟成された酒のような、濃厚で、芳醇な香りを持っていた。そして、俺はその香りに、抗いがたい魅力を感じていた。