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## 満開の蕾、夜に解き放たれる

桜が舞い散る穏やかな春の日、私は、彼と結ばれた。結婚指輪の冷たい感触が、まだ少し現実味を帯びない。新しい名前、新しい生活、そして、新しい私。期待と少しの不安を胸に、私の新婚生活は始まった。

しかし、夢見ていた新婚生活は、すぐに幻想だと悟らされた。夫は、業界でも有名なエリートビジネスマン。結婚前にも察してはいたけれど、結婚後、その忙しさは一層拍車をかけた。朝早く家を出て、夜遅く帰宅。週末も仕事関係の会合や出張が入り、二人でゆっくり過ごす時間はほとんどなかった。

「ごめん、今日も遅くなる」

玄関に佇む彼の背中に、何度この言葉を投げかけたことだろう。彼は振り向くこともなく、「お土産にケーキでも買って帰るよ」と、空虚な言葉を返し、ドアを閉める。残された私は、広すぎるリビングで一人、冷たい夕食を前にため息をつくだけ。

結婚式の写真を見返す。あの日の高揚感、幸福感。隣で満面の笑みを浮かべる夫。あの笑顔は、今どこにあるのだろう。いつからか、彼の視線は私ではなく、パソコンの画面や書類に注がれるようになった。

「ねぇ、今週の土曜日、空いてる？」

勇気を出して聞いてみた。彼は指先でカレンダーをなぞりながら、「うーん、ちょっと厳しいかな。〇〇商事の接待があるんだ」と、あっさり答えた。期待した私の顔は、きっと失望の色に染まったのだろう。彼はそれに気づかないふりをして、再び仕事の話に戻った。

募る、募る、募っていく。それは、言葉にできないほどの空虚感であり、乾きだった。私という存在が、彼の人生において、どれほどのウェイトを占めているのだろうか。それさえも、疑い始めていた。

ある夜、ふと窓の外に目をやった。月明かりに照らされた街は、静かで、どこか寂しげ。私も、この街の灯りと同じように、ただそこに存在しているだけなのかもしれない。そんな虚無感に襲われた時、私の身体の奥底から、熱のようなものが込み上げてくるのを感じた。

それは、誰にも満たされない、抑えきれない欲求。夫がいない夜は、さらに長かった。眠れない夜、私はベッドの中で、あの頃の自分を思い出す。まだ、世間を知らない、純粋で、恋に夢中だった自分。あの頃は、ただ触れ合うだけで、世界が輝いていた。

「私、ちゃんと妻になれてるのかな」

鏡に映る自分に問いかける。艶やかな髪、少し紅潮した頬。悪くない、むしろ、女性としての魅力は増しているのかもしれない。でも、その魅力を誰かに見せたい、誰かに触れてほしい、という気持ちが、私の中で芽生え始めていた。

ある日、いつものように一人で近所のカフェで時間を潰していた。窓際の席に座り、ぼんやりと外を眺めていると、ふと、視線を感じた。顔を上げると、一人の男性がこちらを見て、微笑んでいた。彼は、洗練された雰囲気を持つ、大人な男性だった。

ドキッとした。こんな風に、見つめられるのは久しぶりだったから。彼の視線は、私の服の皺や、髪の乱れではなく、もっと奥にある、私の「何か」を見ているような気がした。

「あの、もしよかったら、お隣、いいですか？」

彼は、控えめに尋ねてきた。迷いはあった。でも、このまま一人でいるより、何か変化が欲しい。私は、小さく頷いた。

彼との会話は、驚くほど自然だった。仕事の話、趣味の話。そして、少しずつ、私自身の話もするようになった。彼、健一さんは、私よりも少し年上の、バリバリのビジネスマンだった。彼もまた、激務をこなし、孤独を感じていることを知った。

「奥さんは、いるんですか？」

意を決して、尋ねた。健一さんは、少し間を置いてから、静かに言った。

「もう、いないんだ。五年前に、病気で…」

彼の言葉に、胸が締め付けられる。同じように、孤独を抱えている。だからこそ、お互いの痛みが、言葉にせずとも伝わってきたのかもしれない。

カフェを出て、私たちは夜の街を散歩した。月明かりが、私たちの足元を照らす。会話は途切れがちだったけれど、その沈黙さえも、心地よかった。

「あのね…」

健一さんが、不意に私の手を握った。その温かさに、身体が震えた。

「君の目を見ていると、なんだか…放っておけないんだ」

彼の言葉は、甘く、そして、少し危険な響きを持っていた。私の心臓は、激しく高鳴る。夫の冷たい視線とは違う、熱のこもった視線。それが、私の中の、ずっと眠っていた何かを、呼び覚ますような気がした。

「私…」

言葉に詰まる。何を言えばいいのか、分からない。でも、彼の手に握られたままの自分の手が、微かに震えているのが分かった。

「実は、ちょっとだけ…ナンパしてくれるの、待ってました」

口から、自然とそんな言葉がこぼれ落ちた。予想外の自分の言葉に、自分自身が一番驚いていた。

健一さんの目が、大きく見開かれた。そして、ゆっくりと、しかし力強く、私の手を握り返した。

「本気かい？」

彼の声には、驚きと、そして、微かな興奮が混じっていた。

「ええ…私の、エッチなカラダ…激しく抱いてください…」

もう、後には引けなかった。夫への罪悪感？それよりも、この衝動を抑えきれない自分がいた。もう、誰かに必要とされたかった。満たされたい、という、抑えきれない渇望が、私を突き動かしていた。

その夜、私たちは、ホテルの部屋で、互いの渇きを癒した。彼の腕は、優しく、そして、大胆だった。長年、誰にも触れられずにいた私の身体は、彼の指先一つで、熱く燃え上がった。

「もっと…」

私の喘ぎ声が、部屋に響く。健一さんの瞳は、獲物を捕らえた獣のように、ギラギラと輝いていた。

「君は、本当に素晴らしい」

彼の言葉が、私の耳元で囁かれる。それは、夫から決して聞くことのできない、甘く、そして、罪深い言葉だった。

その夜から、私の日常は、静かに、しかし確実に、変化していった。夫の帰りを待つだけの、空虚な時間は、健一さんとの秘密の逢瀬によって、彩られるようになった。

私たちは、週末の昼間に、都会の片隅にある隠れ家のようなレストランで密会した。お互いの秘密を分かち合い、そして、欲望を満たし合う。それは、決して正当な関係ではない。でも、私にとっては、失っていた自分を取り戻す、唯一の方法だった。

「あのね、私、結婚してるの」

ある日、勇気を出して、健一さんに打ち明けた。彼は、少し驚いた顔をしたけれど、すぐにいつものように優しく微笑んだ。

「知っていたよ」

「え？」

「君の指輪…でも、構わない。君が、幸せなら、それでいい」

彼の言葉に、胸が熱くなった。彼は、私が自分自身で決めた道だから、と、受け入れてくれた。

「でも、私、彼を愛してるの。だから、彼を裏切るようなことは…」

「分かっているよ」

健一さんは、私の言葉を遮るように言った。

「君は、君のままでいてほしい。それが、僕の願いだ」

彼の言葉に、私は、自分自身が、ただ純粋に、満たされたいだけなのだと、改めて悟った。夫との関係は、冷え切っている。でも、だからといって、彼を憎んでいるわけではない。ただ、満たされない、という、この乾きを、どうすることもできないだけなのだ。

そして、私は、夫の知らない、もう一人の自分を手に入れた。それは、官能的で、大胆で、そして、どこか儚い、大人の女性。

「もっと…私を、激しく抱いて…」

夜の街に、私の声が響く。月明かりの下、私は、秘密の欲望に身を委ねる。満開の蕾は、今、夜に解き放たれた。この甘く、危険な蜜の味は、一体どこまで私を連れて行くのだろうか。