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## 桜舞う夜の告白

「…先輩、あの、ごめんなさい。終電、逃しちゃいました…」

駅の改札で待ち合わせをしていたはずなのに、時刻はすでに終電の発車時刻を過ぎていた。スマートフォンに表示された時刻を見て、俺は思わずため息をついた。こんな時間に誰かと待ち合わせるなんて、よっぽど緊急事態か、あるいは、よっぽど特別な用事でもない限りありえない。

「え、マジかよ？ しかも、こんな遅くに来るなんて、珍しいな。誰かと飲んでたのか？」

俺の脳裏に浮かんだのは、数年前まで一緒にバンドをやっていた、でも今はもう連絡も取れていない、あの懐かしい顔だった。いや、まさかな。

「あの、実は…」

彼女の声が震えている。改札口から少し離れた、街灯の明かりがぼんやりと照らすベンチに座り込んで、彼女は俯いていた。高校の後輩、山田花子。俺が所属していた軽音楽部のマネージャーで、当時から可愛らしい顔立ちで、部員たちの人気者だった。卒業してからほとんど会うこともなくなったが、数週間前にSNSで偶然繋がった。そして、今日、彼女から「先輩、相談したいことがあります」とメッセージが来たのだ。

「ん？ どうした？ 顔色悪いぞ？」

彼女の細い肩が小さく震えているのが分かった。昼間、連絡が来たときには「大丈夫です」と言っていたのに。

「あの、私…家出してきたんです。」

「は？ 家出？ なんかあったのか？」

俺は思わず立ち上がり、彼女の前にしゃがみ込んだ。彼女は顔を上げた。丸い瞳は潤んでいて、いつもよりさらに儚げに見える。

「お父さんと、喧嘩して…。もう、家にいたくなくて。」

彼女の言葉に、俺は一瞬言葉を失った。高校時代、彼女の家庭環境についてはあまり詳しく知らなかった。ただ、いつも明るく元気な彼女が、そんな重い悩みを抱えていたなんて、想像もしていなかった。

「そっか…。それは辛かったな。でも、大丈夫か？ どこか泊まるところはあるのか？」

「それが…どこにも行くあてがなくて…。それで、先輩に、頼ろうかなって…。」

彼女の視線が、俺の顔をじっと見つめる。その瞳の奥に宿る、頼りたい、でも、迷惑をかけてしまうんじゃないかという戸惑いが、俺の胸にじんわりと広がる。

「俺の家か？ まあ、別に構わないけど…。でも、大丈夫か？ 俺なんかで。」

冗談のつもりで言ったのだが、彼女は真顔で頷いた。

「はい！ 一緒にいるだけで、安心するんです。」

その言葉に、俺は胸の奥がくすぐったくなるような感覚を覚えた。卒業して数年。俺は社会人になり、一人暮らしをしている。花子とは、もうほとんど接点がなかったはずなのに、彼女は俺のことを、そんな風に思ってくれていたのか。

「…そうか。じゃあ、行こうか。」

俺は立ち上がり、彼女の手を取った。冷たい指先。でも、その手は、俺の手をぎゅっと握り返してきた。まるで、この温もりだけが、彼女の現実逃避の支えになるかのように。

 subwayに乗り、彼女を自宅まで連れて帰った。彼女の荷物は、小さなショルダーバッグだけ。きっと、家を出てくる時も、勢いだったのだろう。

「とりあえず、何か食べるか？ 冷蔵庫に色々あるぞ。」

「すみません、ありがとうございます。」

俺は冷蔵庫から卵と野菜を取り出し、簡単なチャーハンを作った。彼女は、俺が作る姿をじっと見つめている。その視線が、なんだか落ち着かない。

「あの、先輩。私、ずっと、先輩のことが…」

チャーハンを炒める音にかき消されそうな、小さな声。

「ん？ 何だって？」

「いえ、なんでもないです。」

彼女は慌てたように俯き、チャーハンを一口運んだ。その表情には、どこか決意のような、それとも、諦めのような、複雑な感情が浮かんでいるように見えた。

「美味しいです。」

「そっか。よかった。」

二人で黙々とチャーハンを食べ終える。部屋の空気は、どこかぎこちない。彼女が家出してきたという事実。そして、彼女のあの言葉。俺の頭の中は、色々な感情でごちゃごちゃになっていた。

「あの、先輩。私、家に帰るの、怖いんです。」

彼女が、ふと顔を上げた。その瞳は、先ほどよりもさらに潤んでいる。

「まだ、お父さん、怒ってると思うと…。それに、私、お父さんの期待に、応えられなかったから。」

「期待？ 何のことだよ？」

「私、大学で、本当は、理系に進みたかったんです。でも、お父さんは、文学部に行けって…。それで、今、すごく、迷ってるんです。」

彼女の言葉に、俺は胸が締め付けられるような思いだった。いつも明るく、周りの空気を読んで、誰にでも優しい彼女が、そんな葛藤を抱えていたなんて。

「そうか…。辛かったな。でも、自分のやりたいことを、諦める必要はないんじゃないか？」

俺は、彼女の肩に手を置いた。彼女は、俺の手に、そっと自分の手を重ねてきた。その感触は、驚くほど柔らかく、温かい。

「でも、どうしたらいいか、分からなくて…。先輩に、相談したかったんです。」

彼女の顔が、俺の顔に近づいてくる。その距離が、どんどん縮まっていく。街灯の明かりが、彼女の顔を淡く照らし、その瞳が、キラキラと輝いている。

「あの、先輩…。私…。」

彼女の唇が、微かに開かれる。その言葉を、俺は、待っていたのかもしれない。いや、待っていたのではなく、無意識のうちに、求めていたのかもしれない。

「花子…。」

俺は、彼女の名前を呼んだ。彼女は、俺の呼びかけに、小さく頷き、そして、ゆっくりと、顔を上げた。

その夜、俺の部屋で、何が起こったのか。それは、俺と花子にしか分からない、秘密だ。ただ、桜舞う夜の告白は、俺たちの関係を、そして、僕らの未来を、大きく変えてしまった。

翌朝、朝日が部屋に差し込む頃、彼女は静かに俺の隣で眠っていた。その寝顔は、まるで天使のように無垢で、俺は、そっと毛布をかけ直した。

「先輩、おはようございます。」

目が覚めた彼女は、少し恥ずかしそうに笑った。

「おはよう。よく眠れたか？」

「はい。先輩のおかげで。」

彼女は、俺の顔をじっと見つめて、そして、突然、俺の胸に顔を埋めた。

「あの、先輩。私、やっぱり、先輩のことが、好きです。」

その言葉に、俺は、心臓が跳ね上がるのを感じた。

「…俺も、花子のことが、好きだよ。」

彼女は、顔を上げて、満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、まるで、この世のどんな宝石よりも輝いていた。

「でも、私、家出してきたこと、お父さんに、ちゃんと話さないと。」

「ああ、そうだな。でも、一人で抱え込むなよ。俺が、そばにいるから。」

彼女は、俺の言葉に、力強く頷いた。

あの夜、彼女の家出と、俺たちの関係は、予期せぬ形で始まった。でも、その夜から、俺たちは、お互いにとって、なくてはならない存在になっていた。

桜舞う夜の出来事は、僕らにとって、人生の大きな転換点となった。彼女の家出が、僕の人生にもたらした、とてつもない「棚ぼた」だったのかもしれない。でも、それは、僕が彼女のことを、どれだけ大切に思っているか、そして、彼女が僕のことを、どれだけ必要としてくれているのかを、再確認させてくれた、かけがえのない時間だった。

あの夜、彼女の告白と、僕らの初めての夜が、僕らの新しい物語の始まりだった。これから、どんな未来が待っているのか、それはまだ分からない。でも、一つだけ確かなことは、僕たちは、もう二度と、一人で悩むことはないということだ。