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## 太陽のかけら、再び

桜並木が息を潜めるように咲き誇る四月。古ぼけた木造アパートの二階、西陽が部屋いっぱいに広がる頃、渡辺健一（71歳）は、定年退職後初めての、そして何十年ぶりかの「夫婦旅行」の荷造りをしていた。隣で、妻の陽子（69歳）は、昔と変わらぬ優雅さで、旅行鞄に詰め込む衣類を一つ一つ丁寧に畳んでいる。

「健一さん、またそのゴルフウェア？ 今回は温泉だから、もっとゆったりした服にしなさいよ」

陽子の声に、健一は少しむっとしながらも、ゴルフウェアを仕舞い込んだ。現役時代、仕事の合間を縫って楽しんだゴルフ。それは、彼にとって唯一、陽子から解放され、自分だけの時間を満喫できる数少ない機会だった。しかし、定年を迎え、陽子と過ごす時間が増えるにつれて、その「解放」の意味合いが少しずつ変化してきたことに、健一自身も気づき始めていた。

「だって、温泉地にもゴルフ場があるかもしれないじゃないか」

「もう、そういうことばかり言うんだから。今回は、二人でゆっくり、あの頃みたいに過ごそうって決めたんでしょう？」

陽子の言葉に、健一は口ごもった。あの頃。それは、彼らがまだ若く、互いのすべてに飢えていた時代。結婚して間もない頃、初めて二人で訪れた海辺の町。夜、満天の星空の下、波の音だけが響く静寂の中で、互いの鼓動を感じ合っていた日々。あの頃の、抑えきれない衝動、触れるだけで火花が散るような感覚。それは、いつの間にか、日々の忙しさや、生活の惰性の中に埋もれてしまっていた。

「あの頃の性生活を取り戻すには」――。数週間前、偶然手に取った雑誌の特集記事の見出しが、健一の胸に突き刺さった。定年を迎えた夫婦たちの「第二の人生」と、そこで失われがちな「性」について語られていた。記事は、失われた夫婦の絆を取り戻すために、積極的にコミュニケーションを取ること、そして、互いを異性として意識することの重要性を説いていた。

陽子も、その記事を読んでいたのだろう。ある日、彼女は突然、「ねえ、健一さん。私たち、もう一度、あの頃みたいに、イチャイチャしない？」と、少し照れながら言ったのだ。その言葉に、健一は驚きつつも、心の奥底でずっと燻っていた何かが、ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

今回の旅行は、そんな陽子の提案から実現した。行き先は、かつて新婚旅行で訪れた、海辺の静かな温泉地。そこで、彼らは「あの頃」を取り戻そうとしていた。

温泉旅館の部屋は、想像以上に趣があった。部屋の窓からは、夕暮れ時の穏やかな海が見える。健一は、浴衣に着替え、湯殿へと向かった。陽子も、湯上りに身支度を整え、部屋で待っているだろう。

湯船に浸かると、体の芯から温まる。日頃の疲れが溶けていくような感覚。ふと、隣の湯船に浸かっていた男性の「もう、歳だからな」という呟きが聞こえてきた。健一は、その言葉に自分を重ね合わせた。自分も、もう「若い」とは言えない。性生活も、若い頃のような激しさは失われた。しかし、それは「終わった」ということではないはずだ。

湯から上がり、部屋に戻ると、陽子が浴衣姿で、柔らかな灯りに照らされた顔で微笑んでいた。その横顔に、健一は昔と変わらない、いや、むしろ年輪を重ねたことで深みを増した女性としての魅力を感じた。

「どう？ 温泉、気持ちよかった？」

「ああ。最高だよ」

二人は、食卓を囲み、仲居さんが運んできた夕食をゆっくりと食べた。話す内容は、仕事のこと、子供たちのこと、孫たちのこと。そして、昔の思い出。

「覚えてる？ この海。あの頃、ここで二人で貝殻拾ったわね」

陽子が、窓の外の海を指差しながら言った。健一も、その時の記憶を辿る。砂浜を裸足で歩き、波打ち際で戯れ合った。指先が触れただけで、互いの熱を感じていた。

「あの頃は、何でもなかったことが、今は…」

陽子の言葉に、健一は答える代わりに、そっと彼女の手を取った。陽子の手は、健一の大きな手を包み込むように、温かかった。長年連れ添った手の温もり。それは、若い頃の激しい情熱とは違う、静かで深い愛情の温もりだった。

「健一さん…」

陽子の声が、かすかに震える。健一は、陽子の目を見つめた。そこには、照れくささと、期待と、そして、何十年も変わらぬ愛が宿っていた。

「陽子…」

健一は、陽子の頬にそっと手を伸ばし、優しく撫でた。その感触に、昔の熱が蘇るような、それでいて、今だからこそ感じられる、温かい感情が込み上げてくる。

「あの頃の…性生活を取り戻すには…」

健一は、雑誌の見出しを思い出しながら、陽子に囁いた。

「きっと、こうやって、お互いを…大切に思うこと、じゃないかな」

陽子は、健一の言葉に静かに頷き、そっと目を閉じた。部屋の灯りが、二人の顔を優しく照らし出す。それは、失われた「性」を取り戻すための、新たな「性春」の始まりだった。

数日後、二人は帰路についていた。車窓の外には、春の空が広がっている。

「ねえ、健一さん」

陽子が、健一の肩にそっと頭を乗せた。

「あの旅行、楽しかったわね」

「ああ。楽しかったよ」

健一は、陽子の頭を優しく撫でた。

「でも、なんだか、もっと…」

陽子は、言葉を探すように、少し間を置いた。

「もっと、色々なことを、二人でしてみたくなったわ。まだ、この人生、長いでしょ？」

健一は、陽子の言葉に、思わず笑みをこぼした。

「そうだな。まだまだ、これからだ」

「定年退職者の性生活１」――それは、人生の後半戦で、失われた「性」を取り戻そうと奮闘する、ある夫婦の物語。

「定年退職者の性生活２」――それは、互いを異性として意識し、新たな関係を築こうとする、夫婦の更なる挑戦。

「定年を迎え数十年ぶりの旅行」――それは、過去を懐かしみ、未来への希望を育む、二人の時間。

「あの頃の性生活を取り戻すには」――それは、単なる肉体的な関係ではなく、心と心の繋がり、そして、互いを尊重し、大切に思う気持ち。

渡辺健一と陽子。二人の「性春」は、まだ始まったばかりだった。夕陽が、二人の乗る車を金色に染め上げていく。それは、人生という名の長い旅路で、再び輝き始めた、希望の光のようだった。