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## 黒人ナンパ隊、湯けむりの里へ

　初夏の風が、緑深き山々を撫でるように吹き抜けていく。その風に乗って、かすかに、しかし確かな熱気と、どこか陽気な歌声が、群馬県の片田舎にある静かな温泉地、「湯けむりの里」に届き始めた。

　湯けむりの里は、その名の通り、一年中柔らかな湯気が立ち込める、風情ある温泉街だ。古くからの旅館が軒を連ね、地元の食材をふんだんに使った料理が自慢。平日は静かで、週末ともなれば、日頃の疲れを癒しに訪れる人々で賑わう。しかし、この日、湯けむりの里は、これまで経験したことのない、奇妙な熱気に包まれようとしていた。

　その熱気の源は、一台の真っ赤なキャンピングカーだった。カラフルなペイントが施され、窓には「Black Soul Brothers! Good Vibe Only!」と手書きの文字。そのキャンピングカーから降りてきたのは、太陽をそのまま浴びてきたかのような、精悍な黒人男性たちだった。彼らは五人組で、それぞれが強烈な個性を放っていた。リーダー格のビッグ・ジョーは、鍛え上げられた肉体と、何でも包み込んでしまうような温かい笑顔。その隣には、長身で細身のダンスが得意そうなリッキー、小柄でいつもニコニコしている陽気なマーカス、そして、一見クールだが情熱を秘めたようなマイク、さらに、いつも何かを企んでいるような、いたずらっぽい表情のジェイ。彼らが、自称「黒人ナンパ隊」だった。

　彼らの目的は、いたってシンプル。「全国の温泉地を行脚し、素敵なマダムたちをナンパする」こと。日本に来てまだ日が浅く、日本語はカタコト。しかし、その言葉の壁をものともしない、底抜けの明るさと、何よりも「気持ちイイことしようよ！」というストレートな誘い文句が、彼らの武器だった。

　湯けむりの里に到着した彼らは、早速、温泉街の散策を開始した。彼らの目には、湯けむりの中で浴衣姿で歩く、魅力的な女性たちの姿が映っていた。特に、彼らのターゲットとなったのは、人生経験豊富で、どこか寂しさを秘めた、しかし、心の底ではまだときめきを求めている「オバサマ」たちだった。

　最初に目をつけられたのは、老舗旅館「長寿亭」の女将、サチコさんだった。五十代後半、凛とした佇まいだが、どこか物憂げな表情が、ビッグ・ジョーの心を射止めた。「Yo! Lady! Beautiful!」ビッグ・ジョーは、カタコトの日本語と、流暢な英語を織り交ぜながら、サチコさんに話しかけた。

　サチコさんは、突然の外国人の熱烈なアプローチに、一瞬戸惑いを隠せなかった。「あら、まあ…」彼女は、普段なら毅然とした態度で断るところだった。しかし、ビッグ・ジョーの、純粋なまでの尊敬と、その温かい笑顔に、普段は固く閉ざしている心の扉が、わずかに開いた。

「イイ湯だね。気持ちイイね。気持ちイイことしようよ！」

　ビッグ・ジョーの言葉は、サチコさんの耳に、まるで心地よい音楽のように響いた。彼女は、長年、女将として、妻として、母として、自分を後回しにしてきた。久しぶりに、自分自身が「女性」として、誰かに見られているような、そんな感覚に襲われた。

　「こ、これは、一体…」サチコさんは、言葉に詰まりながらも、ビッグ・ジョーの誘いに、まんざらでもない様子だった。

　リッキーは、サチコさんの隣で、愛想良く笑顔を振りまく。彼は、サチコさんの浴衣の帯に描かれた鶴の模様に気づき、「Crane! Beautiful crane! Lucky, lucky!」と、巧みに褒め言葉を繰り出した。

　マーカスは、サチコさんの肩を、優しくポンと叩き、「Yo! Madame! You smile! Very good!」と、彼女の笑顔を称賛した。

　ジェイは、遠巻きに、しかし鋭い観察眼で、サチコさんの反応を伺っていた。彼は、サチコさんが、断りきれない、しかし、どこか嬉しそうな表情をしていることを見抜いていた。

　「断れない…」サチコさんは、内心そう思いながらも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、普段の生活では決して味わえない、刺激的な日常が始まったような、そんな期待感が胸をくすぐった。

　「まあ、少しだけなら…」サチコさんは、ついに、ビッグ・ジョーたちの誘いを受け入れた。

　こうして、黒人ナンパ隊の「湯けむりの里」での、前代未聞のナンパ大作戦が幕を開けた。彼らのターゲットは、サチコさんだけではなかった。

　次に彼らが目をつけたのは、土産物屋の店主、ハルミさんだった。四十代後半、明るく元気な性格だが、どこか頼りない旦那の愚痴をこぼすのが日課だった。マイクが、ハルミさんの店で、お土産の団扇を手に取り、「This fan! Cool! But you! More cool!」と、唐突に褒め始めた。

　「あら、何言ってるのよ、あなたたち！」ハルミさんは、最初は冗談だと思い、笑って流そうとした。しかし、マイクの真剣な眼差しと、その堂々とした態度に、思わず顔が赤くなる。

　「イイ湯だね。気持ちイイね。気持ちイイことしようよ！」

　マイクは、サチコさんに言ったのと同じ言葉を、ハルミさんにも向けた。ハルミさんは、思わず団扇を落としそうになった。「いやだわ、もう！ 私は忙しいのよ！」そう言いながらも、彼女の口元は緩んでいた。

　ジェイは、ハルミさんの様子を見て、ニヤリと笑った。「彼女、OK、Yes, yes!」と、他のメンバーに合図を送った。

　彼らは、オバサマたちの「断りきれない」性格を、巧みに利用していた。それは、決して強引なものではなく、むしろ、相手の心の隙間に入り込むような、自然なアプローチだった。彼らのストレートな褒め言葉、裏表のない笑顔、そして、何よりも「一緒に楽しもう！」というポジティブなエネルギーが、オバサマたちの心を、ぐんぐん溶かしていった。

　湯けむりの里の片隅で、黒人ナンパ隊と、彼らに心を奪われたオバサマたちの、奇妙で、しかし、どこか微笑ましい交流が、静かに、そして熱く繰り広げられていた。彼らは、温泉街を練り歩き、時には、彼らの陽気な歌声に、地元の人々も思わず足を止めて見守っていた。

　「ア、ア、アイ・ラヴ・ユー！」ビッグ・ジョーが、サチコさんに向かって、不器用ながらも熱い告白をする。サチコさんは、恥ずかしそうに顔を伏せるが、その瞳は、キラキラと輝いていた。

　ハルミさんも、マイクと二人で、旅館の裏手にある、隠れ家のような露天風呂に肩を並べていた。「You so beautiful… like flower…」マイクの言葉に、ハルミさんは、思わず「もう、そんなこと言って…」と、微笑んだ。

　黒人ナンパ隊のメンバーは、それぞれのオバサマたちと、自分たちのペースで、親密な時間を過ごしていた。それは、決して一夜限りの関係ではなく、彼らの故郷の歌を歌ったり、簡単な日本語で会話をしたり、時には、一緒に料理をしたりと、温かい交流だった。

　彼らの「ナンパ」は、単なる口説き文句ではなかった。それは、失われかけていた女性たちの「輝き」を、呼び覚ます魔法のようなものだった。普段は、家族のため、仕事のために、自分自身を後回しにしてきたオバサマたちは、黒人ナンパ隊との出会いによって、再び、自分自身が「女性」であり、「人生を謳歌する権利がある」ということを思い出したのだ。

　「イイ湯だね。気持ちイイね。気持ちイイことしようよ！」

　湯けむりの里に響き渡る、彼らの陽気な声。それは、温泉街の静寂を破るものではなく、むしろ、そこに新たな活気と、温かい笑顔をもたらしていた。

　数日後、黒人ナンパ隊は、湯けむりの里を後にする時が来た。キャンピングカーのエンジン音が、温泉街に響く。サチコさんやハルミさんは、名残惜しそうに、彼らを見送っていた。

　「また、来るよ！」ビッグ・ジョーは、サチコさんに、力強いハグをした。

　「You remember me, okay?」マイクは、ハルミさんの手を、優しく握った。

　彼らは、感謝の言葉を伝え、そして、お土産に、自分たちの故郷の音楽が入ったCDを置いていった。

　キャンピングカーが、山道へと消えていく。湯けむりの里には、少しだけ、寂しい風が吹いた。しかし、オバサマたちの胸には、それまでとは違う、温かい火が灯っていた。

　サチコさんは、女将としての仕事に戻りながらも、以前よりも、ずっと明るい笑顔を浮かべるようになった。ハルミさんは、旦那の愚痴を言う代わりに、黒人ナンパ隊との楽しかった日々を、友人に語り始めた。

　黒人ナンパ隊の「湯けむりの里」への訪問は、一時的な出来事だった。しかし、彼らが残していったのは、単なる思い出だけではなかった。それは、オバサマたちの心に、新たな「ときめき」と、「自分らしく生きる」ことへの勇気だった。

　そして、彼らの次の目的地は、きっと、また別の温泉地。そこで彼らは、また新たな「イイ湯」と、「気持ちイイこと」を求めて、旅を続けるのだろう。カタコトの日本語と、底抜けの明るさで、日本中のオバサマたちの心を、次々と掴んでいく。彼らの「黒人ナンパ隊」の伝説は、まだまだ始まったばかりだった。