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## 魔法の糸

「ねぇ、聞いてくれる？あのね、昨日また彼に会ったんだけど、もう、私、魔法使いになっちゃったみたい！」

カフェの片隅で、優子は興奮気味に友人たちに語り始めた。彼女の友人たちは、優子が最近「彼」と呼ぶようになった、少し年上の既婚男性との関係に、半ば呆れながらも、どこか面白がって耳を傾けていた。

「魔法使いって、どういうことよ？」

一番年上の聡美が、コーヒーカップをゆっくりと回しながら尋ねる。優子は、ふふ、と秘密を打ち明けるかのように微笑んだ。

「だって、彼、私に夢中なのよ。まるで、私が操っているみたいに。でも、私、何も特別なことしてないんだから。ただ、ちょっとした『魔法』を使ってるだけ」

優子が語る「魔法」とは、特定の方法で男性を惹きつけ、手玉に取るテクニックのことだった。それは、彼女が最近読んだある本に書かれていた「プライベートガールたちの魅惑のテクニック」を実践したものだという。

「例えばね、彼が疲れてるなって思ったら、わざとらしくため息をついたり、ちょっと肩を落としたりするの。そうすると、彼は『どうしたの？』って心配してくれて、優しく声をかけてくれる。そして、その優しさに、彼はどんどん私に惹かれていくんだから」

優子の話に、友人のひとりが眉をひそめた。

「それって、ちょっとずるくない？」

「えー、いいじゃない！だって、私たちだって、女性として綺麗でいたいし、愛されたいんだもん。それに、彼だって、奥さんいるんでしょ？私たちみたいな『癒やし』を求めてるんだから、お互い様よ」

優子は、悪びれる様子もなく言った。彼女の口調には、どこか世慣れた、そして少し挑発的な響きがあった。

「それにね、もっとすごいテクニックもあるのよ」

優子は、さらに小声になった。

「例えば、ちょっと体調が悪いふりをするの。熱はないんだけど、顔色が悪いのね。そうすると、彼は『大丈夫か？』って、すごく心配してくれて、看病してくれるんだから。もちろん、無理はしない程度にね。でも、あの、自分を気遣ってくれる彼の優しさに、私はもう、メロメロになっちゃうの」

優子は、その話をしている間、目をキラキラさせていた。彼女にとって、それはゲームであり、そして何よりも、自分が「男性を惹きつける力」を持っているという実感を与えてくれるものだった。

「でも、そんなことして、罪悪感とかないの？」

聡美が、静かに問いかけた。

「罪悪感？うーん、あまりないかな。だって、私たちは、彼に『特別』な時間を与えてあげてるんだもん。奥さんとは違う、甘くて、癒やされる時間。それに、彼だって、私たちに『特別』なものを求めてるんでしょ？」

優子は、そう言って、軽く肩をすくめた。彼女の倫理観は、この「魔法」の力によって、かなり歪められてしまっているようだった。

「あとね、これもよくやるんだけど」

優子は、さらに続けた。

「わざとらしく、重そうな荷物を持ってるふりをして、歩いてるの。そうすると、通りかかった男性が『落としましたよ』とか、『お手伝いしましょうか？』って声をかけてくれる。そして、そのまま家まで運んでもらったりするの。もちろん、私も、ありがとう、って、ちょっと甘えてみたりしてね。そうすると、彼らは、自分が『頼りになる存在』だと思わせられて、どんどん私に心を開いていくんだから」

優子の語るテクニックは、どれも巧妙で、そしてある意味では、女性が本来持っている「可愛らしさ」や「弱さ」を巧みに利用したものだった。男性は、自分が相手を助けている、守っている、という優越感に浸る。そして、その優越感が、いつの間にか相手への特別な感情へと変わっていく。

「でも、それって、相手に気づかれてないの？」

別の友人が、疑問を呈した。

「うーん、どうかしら。でも、彼らは、ほとんど気づいてないみたいよ。だって、私が、彼らの『理想の女性』を演じているだけだから。優しくて、可愛くて、ちょっと儚げで…」

優子は、そう言って、楽しそうに笑った。彼女は、自分が「魔法」を使っているという自覚はあった。しかし、その「魔法」が、相手を徐々に「魔の手に堕とす」ものであるという認識は、薄かった。

「そうやって、彼らを手玉に取ってるうちが、楽しいのよ」

優子は、そう締めくくった。彼女の言葉には、どこか空虚な響きも混じっていた。

数日後、優子は、いつものようにカフェで友人たちと会っていた。しかし、その日の彼女の顔色は、いつもと違っていた。

「どうしたの、優子？元気ないじゃない」

聡美が、心配そうに優子に声をかけた。

「あのね…」

優子は、俯いたまま、小さな声で話し始めた。

「彼…もう、会ってくれなくなったの」

「えっ、なんで？」

「わからない…でも、なんか、飽きられちゃったみたい」

優子の顔には、落胆と、そしてわずかな恐怖が混じっていた。彼女が「魔法」だと信じていたものは、実は、相手が興味を失えば、あっけなく消え去ってしまう、脆いものだったのだ。

「私…彼に、何か、間違ったことしちゃったのかな…」

優子の目から、ぽつりぽつりと涙がこぼれ始めた。

「大丈夫よ、優子」

聡美は、優子の肩を優しく叩いた。

「それは、魔法なんかじゃないわ。ただの、駆け引きよ。そして、その駆け引きも、相手が望んでいるから成立するもの。相手が望まなくなれば、それは、ただの虚しさだけが残る」

聡美の言葉は、優子の心にじんわりと染み渡った。彼女がこれまで信じてきた「魔法」は、実は、男性の心の隙間につけ込む、一時的な慰めや、気晴らしに過ぎなかったのかもしれない。

「あのね、優子」

聡美は、さらに続けた。

「本当に大切なのは、相手を騙すことじゃなくて、相手に、心から愛されることだと思うの。そのためには、自分自身も、偽りなく、正直でいることが大切よ」

優子は、聡美の言葉を、静かに聞いていた。彼女は、初めて、自分が「魔法」という名の仮面を被っていたことに気づかされた。そして、その仮面が剥がされた時、残ったのは、空虚な自分自身だった。

「私…これから、どうしたらいいのかな…」

優子の声は、か細かった。

「まずは、自分自身を大切にすることよ。そして、本当の自分を知ること。そうすれば、きっと、あなたを心から愛してくれる人が、現れるわ」

聡美は、優子に微笑みかけた。その笑顔は、優子にとって、温かい光のように感じられた。

優子は、カフェを出て、一人で歩き始めた。夜風が、彼女の頬を撫でていく。彼女は、これまでの自分の行動を振り返り、そして、これからどう生きていくべきかを、静かに考え始めた。

「魔法」の糸は、ほどけてしまった。しかし、それは、新たな糸を紡ぎ出すための、始まりなのかもしれない。偽りの魅力ではなく、本当の自分を愛してくれる人を求めて、優子の新しい旅が、静かに始まろうとしていた。