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## 錆びついたネジ

雨の音が、古びたアパートの窓ガラスを叩きつける。部屋の隅に置かれた埃を被ったギターが、物言わぬように佇んでいた。男は、煙草の煙をゆっくりと吐き出した。乾いた咳が、静寂を切り裂く。

男の名は、田中だ。かつては、音楽で身を立てることを夢見ていた。ギターを抱え、夜な夜なライブハウスを渡り歩いた日々。しかし、現実は甘くなかった。才能がある、と囁く者はいたが、食っていくには程遠い。夢は、いつしか埃を被り、錆び付いていった。

田中は、手元のスマホを弄んだ。画面に映るのは、煌びやかなネオンサインが輝く街の広告。その一角に、「ソープランド」の文字が踊っていた。ため息をつき、彼は画面を消した。

数日後、田中は、その街にいた。雨は上がっていたが、空気は湿っぽく、重苦しかった。目的の店の前で、彼は立ち止まった。心臓が、嫌な音を立てて鼓動を早める。迷い、葛藤。かつての自分なら、決して足を踏み入れなかったであろう場所。しかし、今の田中には、抗うだけの気力が残っていなかった。

ドアを開けると、眩い光と甘い香りが、彼を包み込んだ。受付の女性は、笑顔で田中を迎えた。その笑顔は、どこか作り物めいて、彼の心をざわつかせた。

個室に通されると、すぐに女性が入ってきた。広告に書かれていた通りの、笑顔が可愛らしい、少しふくよかな女性だった。彼女は、自己紹介をすると、慣れた手つきで田中の上着を脱がせ始めた。

「ゆっくりしていってくださいね」

彼女の声は、優しく、そしてどこか事務的だった。田中は、彼女の顔を見ることができなかった。

洗体、ローションマット、そしてベッドへ。彼女は、プロの技で、田中の体を弄んだ。巧みな言葉と、甘い吐息。しかし、田中の心は、どこまでも冷たかった。

彼女の肌は、確かに柔らかく、温かかった。しかし、田中は、何も感じなかった。ただ、時間が過ぎるのを待つだけだった。

かつて、音楽を通して、誰かの心を震わせたかった。自分の感情を、音に乗せて、届けたかった。しかし、今の田中には、そんな力は残っていなかった。

彼女は、懸命に田中を盛り上げようとした。様々な言葉を囁き、体を密着させた。しかし、田中の心は、閉ざされたままだった。

ふと、彼女が、小さな声で歌い始めた。それは、流行りの歌ではなく、昔懐かしい童謡だった。その歌声は、どこか寂しげで、そして優しかった。

田中は、顔を上げた。彼女の瞳は、真剣だった。まるで、子供の頃に戻ったかのような、無邪気な表情で、彼女は歌っていた。

その瞬間、田中の心に、微かな光が射した。彼は、彼女の歌声に、何かを感じた。それは、昔、自分が音楽に求めていたものに、近いものだった。

彼女の歌が終わると、田中は、静かに言った。

「ありがとう」

彼女は、少し驚いた表情で、田中を見た。そして、微笑んだ。

「どういたしまして」

その夜、田中は、何も求めなかった。ただ、彼女の話を聞いていた。彼女の過去、夢、そして悩み。彼女もまた、色々なものを背負って生きているのだと、田中は知った。

店の外に出ると、雨はすっかり上がっていた。空には、星が輝いていた。田中は、深呼吸をした。少しだけ、心が軽くなった気がした。

アパートに戻ると、田中は、ギターケースを開けた。埃を払い、弦を張り替えた。指先は、震えていた。

ギターを抱え、田中は、静かに弾き始めた。それは、かつてのように、情熱的なものではなかった。しかし、確かに、そこには、感情が込められていた。

錆び付いたネジは、まだ、完全に壊れてはいなかった。少しの油を差せば、また、動き出すかもしれない。

田中は、夜空を見上げた。星は、優しく輝いていた。彼は、再び、夢を見始めた。それは、以前のような、煌びやかなものではなかった。しかし、現実味のある、ささやかな夢だった。

明日から、また、頑張ってみよう。彼は、そう思った。

そして、彼は、ギターを弾き続けた。雨上がりの夜空に、彼の奏でるメロディーが、静かに響き渡った。それは、希望の光を求めて彷徨う、一人の男の魂の叫びだった。そして、それは、いつしか、誰かの心に、静かに寄り添う、温かい歌へと変わっていった。