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## 団地の午後三時

団地の午後三時は、一種独特の空気が漂っていた。子供たちの帰宅前の静けさ、夕食の支度前のほんの少しの休憩時間。そして、陽だまりの中で談笑する主婦たちの姿。かつて「東雲団地」と呼ばれたこの場所は、年月を経て緑が豊かになり、人々の生活が根付いた。コンクリートの建物は古びたが、そこに住む人々の笑顔は、どこか温かかった。

そんな団地に、一人の男が紛れ込んだ。

男の名は亮太。自称「恋愛コンサルタント」。実際には、ナンパで小銭を稼ぎ、その日暮らしを送るだけの男だった。亮太は、インターネットで見つけた扇情的な記事を思い出し、東雲団地を「新たな狩場」と決め込んでいた。

団地の駐輪場は、無数のママチャリがひしめき合う、まさに生活感の塊だった。亮太は、まるで獲物を定めるかのように、一台一台の自転車を吟味し、持ち主の女性像を想像していた。「子供乗せ自転車はパス。若いシングルマザー狙いかな…」などと、心の中で下品な計算をしていた。

その時、一台の自転車が目に留まった。パステルブルーの可愛らしい電動アシスト自転車。カゴには、使い込まれた絵本が数冊入っている。「これだ」亮太は確信した。清楚で、育児に熱心な若い母親。まさに、記事に書かれていた「理想のターゲット」だった。

数分後、自転車の持ち主が現れた。彼女は、想像以上に美しかった。透き通るような白い肌、大きな瞳、控えめな笑顔。どこか憂いを帯びた表情が、亮太の狩猟本能を刺激した。

「あの…すみません」亮太は、精一杯爽やかな笑顔で声をかけた。「もしかして、この辺にお住まいですか？」

彼女は、少し驚いたように亮太を見た。「ええ、そうですけど…」

「僕、最近引っ越してきたばかりで、この辺のことが全然わからなくて。もしよろしければ、少しお話でも…」亮太は、事前に用意していた台詞を淀みなく口にした。

彼女は、少し警戒した様子で亮太を見つめた。「ごめんなさい。これから子供を迎えに行かないといけないので」

亮太は、焦りを感じた。「あ、そうなんですね。あの、もしよかったら、今度、お茶でもご一緒しませんか？この近くに、美味しいケーキ屋さんがあるんですよ」

彼女は、少し困ったように微笑んだ。「ありがとうございます。でも、そういうのはちょっと…」

亮太は、諦めきれずに食い下がろうとした。その時、背後から子供の声が聞こえた。「ママ！」

彼女は、パッと表情を明るくし、駆けてきた子供を抱きしめた。「ごめんね、待たせちゃった？」

亮太は、その光景をただ呆然と見つめていた。母親の優しい笑顔、子供の無邪気な笑顔。そこには、打算や欲望の入り込む余地などなかった。

彼女は、亮太に軽く会釈をして、子供を自転車に乗せ、走り去った。

亮太は、一人、駐輪場に取り残された。先ほどまでの高揚感は消え失せ、代わりに、言いようのない空虚感が胸に広がった。

その日の夕方、亮太は団地の公園で、子供たちが遊ぶ姿を眺めていた。楽しそうな笑い声、懸命にボールを追いかける姿。そこには、計算も打算もない、純粋な喜びがあった。

ふと、亮太は、自分がしてきたことの愚かさに気づいた。誰かを傷つけ、利用することで得られる快楽なんて、本当の幸せではない。彼は、ただ、誰かに必要とされたかっただけなのかもしれない。

亮太は、団地を後にした。帰りのバスの中で、彼は、インターネットの記事を削除した。そして、新しい仕事を探すことを決意した。

数週間後、亮太は、小さなカフェで働くことになった。客との会話は楽しいし、コーヒーの香りは心を落ち着かせてくれる。何よりも、誰かの役に立っているという実感があった。

ある日、カフェに、あの日の母親が子供を連れてやってきた。彼女は、亮太に気づくと、少し驚いた様子で微笑んだ。

「あら、こんなところで働いているんですね」

「ええ、まあ…」亮太は、少し恥ずかしそうに答えた。

「頑張ってくださいね」彼女は、子供にオレンジジュースを注文し、窓際の席に座った。

亮太は、彼女の言葉に、勇気づけられた。彼は、精一杯の笑顔で、オレンジジュースを彼女の元へ届けた。

団地の午後三時。かつての亮太にとっては、欲望を満たすための時間だった。しかし、今の彼にとっては、新たな人生を歩むための、希望に満ちた時間だった。

東雲団地は、今日も変わらず、人々の生活を温かく見守っている。コンクリートの建物は古びたが、そこに住む人々の笑顔は、いつまでも輝き続けるだろう。そして、亮太もまた、その笑顔の一部になるために、一歩ずつ、前に進んでいく。