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## 雨上がりの紫陽花

雨上がりのしっとりとした空気が、箱根の山々を優しく包み込んでいた。かえでは、窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。紫陽花が雨に濡れて、一段と鮮やかな色を放っている。まるで、今の自分の心のようだ、と思った。

「かえでさん、お待たせしました」

背後から聞こえた声に、かえでは振り返った。そこに立っていたのは、今回の旅の相手、慎也だった。黒のジャケットがよく似合う、穏やかな雰囲気の男性だ。

「おはようございます、慎也さん」

かえでは微笑み返した。慎也との出会いは、半年前。共通の友人を通じて知り合い、何度か食事をするうちに、惹かれ合うようになった。慎也は、かえでの過去を知っていた。前夫からのDV、離婚、そして今の夫、健太との再婚。

健太は、とても優しい人だった。DVの後遺症に苦しむかえでを、献身的に支えてくれた。彼のおかげで、かえでは少しずつ過去の傷を癒し、新しい生活を始めることができた。

しかし、一つだけ、満たされないものがあった。それは、性的な欲求だった。健太は、かえでの過去を気遣い、無理強いすることは一切なかった。それは優しさだったが、同時に、かえでは女性としての自分を否定されているような気がしていた。

そんな時、慎也が現れた。彼は、かえでの美しさを褒め、女性としての魅力を引き出してくれた。そして、優しく、情熱的に、かえでを求めた。

「準備はいいですか？」

慎也の言葉に、かえでは頷いた。本当は、迷いがあった。健太への罪悪感は、常に心の片隅にあった。それでも、慎也との旅行を断ることができなかった。一度だけなら、許されるのではないか。そう思ってしまう自分がいた。

宿に着くと、慎也はまず、露天風呂へ行こうと提案した。かえでは、少し戸惑ったが、慎也の優しい笑顔に導かれるように、浴衣に着替えた。

露天風呂は、ひっそりと静まり返っていた。雨上がりの澄んだ空気の中、湯気が立ち上り、幻想的な雰囲気を醸し出している。

「綺麗ですね…」

かえでは、思わず声を漏らした。

「かえでさんの方が、ずっと綺麗だよ」

慎也は、かえでを見つめながら、そう言った。その視線に、かえではドキッとした。

湯船に浸かると、体の力が抜け、緊張が和らいでいくのを感じた。慎也は、静かにかえでの隣に座り、ゆっくりと背中を撫で始めた。

「気持ちいい…」

かえでは、小さく呟いた。慎也の手は、優しく、そして確かな熱を帯びていた。背中から肩へ、そして首筋へと、慎也の手が移動するたびに、かえでの体は熱を帯びていった。

湯上がり後、部屋に戻ると、慎也は用意されていたワインを開けた。グラスに注がれたワインは、夕日に照らされ、宝石のように輝いていた。

「乾杯」

慎也は、グラスを掲げた。かえでは、少し戸惑いながらも、グラスを合わせた。

ワインを一口飲むと、甘く、そしてほろ苦い味が口の中に広がった。それは、まるで今の自分の心のようだ、と思った。

慎也は、かえでのグラスにワインを注ぎ足し、優しく微笑んだ。

「何か、話したいことはありますか？」

慎也の言葉に、かえではしばらく黙っていた。胸の中に、様々な感情が渦巻いている。健太への罪悪感、慎也への期待、そして、自分の欲望。

「健太さんのこと、考えてる？」

慎也は、静かにそう尋ねた。

「…はい」

かえでは、正直に答えた。

「健太さんは、本当に優しい人です。私を、救ってくれた。でも…」

かえでは、言葉を詰まらせた。

「でも、満たされないものがあるんですね」

慎也は、かえでの気持ちを理解しているようだった。

「…はい」

かえでは、再び頷いた。

「かえでさん、あなたは、とても魅力的な女性です。もっと、自分を大切にしてもいいんですよ」

慎也は、そう言って、かえでの手を握った。その手は、温かく、そして力強かった。

夜、慎也は、ゆっくりと、そして優しく、かえでを抱きしめた。かえでは、身を委ねるように、慎也の腕の中に身を沈めた。

慎也のキスは、甘く、そして激しかった。かえでの体は、熱を帯び、震え始めた。

「愛してる…」

慎也は、かえでの耳元で囁いた。その言葉に、かえでは理性を失いそうになった。

かえでは、激しく、慎也を求めた。それは、まるで、心の奥底に隠されていた欲望が爆発したかのようだった。

夜が明けて、かえでは、ベッドの中で目を覚ました。隣には、慎也が眠っていた。

かえでは、昨夜の激しい情事を思い出し、顔を赤らめた。同時に、健太への罪悪感が、再び胸を締め付けた。

慎也は、かえでの異変に気づき、目を覚ました。

「おはようございます」

慎也は、優しく微笑んだ。

「…おはようございます」

かえでは、小さく答えた。

「後悔してる？」

慎也は、かえでの目を見つめながら、そう尋ねた。

かえでは、しばらく黙っていた。

「…分かりません」

かえでは、正直に答えた。

「そうか…」

慎也は、少し寂しそうな表情をした。

「でも、私は、かえでさんと出会えて、本当に良かったと思っています」

慎也は、そう言って、かえでの手を握った。

「ありがとう…」

かえでは、小さく呟いた。

旅行から帰って数日後、かえでは、健太に全てを打ち明けた。

「ごめんなさい…」

かえでは、涙ながらに謝った。

健太は、静かにかえでの話を聞き終えると、優しく抱きしめた。

「辛かったね…」

健太は、そう言って、かえでの背中を撫でた。

「健太さん…」

かえでは、健太の胸の中で、わんわんと泣きじゃくった。

それから、かえでは、健太とじっくりと話し合った。二人は、お互いの気持ちを理解し、これからの関係について、真剣に向き合った。

そして、数ヶ月後、かえでは、健太との間に子供を授かった。

新しい命の誕生は、かえでと健太の関係を、より一層深めることになった。

かえでは、過去の過ちを乗り越え、健太と共に、幸せな家庭を築いていくことを決意した。

雨上がりの紫陽花は、一段と鮮やかな色を放っている。まるで、新しい人生の幕開けを祝福しているかのようだった。