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## 薔薇の仮面の下で

住宅街にひっそりと佇む、古びたレンガ造りのクリニック。その名は「ロゼ・クレール」。上品な薔薇の紋様が描かれた看板が、世間の喧騒から隔絶された静寂を物語っていた。表向きは、最新の美容医療を提供する名門クリニック。しかし、その優雅な外観の裏には、ある種の歪んだ熱狂と、禁断の悦楽が渦巻いていた。

院長の神楽坂宗一郎は、顔立ちこそ端正で人を惹きつける美貌の持ち主だったが、その瞳の奥には得体の知れない深淵が覗いていた。患者たちの憧憬の眼差しを浴びる彼は、まるで現代の錬金術師のように、人々の外見に奇跡を起こす存在として崇拝されていた。しかし、彼だけが知る「奇跡」の代償は、あまりにも大きかった。

「今日の患者さんは、〇〇様ですね。例の件、ご準備はよろしいでしょうか」

麻酔科医の岩渕が、冷ややかに微笑みながら神楽坂に声をかけた。岩渕は、神楽坂の歪んだ欲望を誰よりも理解し、それを叶えるための「黒子」としての役割を忠実に果たしていた。

「ああ、岩渕君。君の腕があれば、何も心配はいらない。例の薬は、今回は少し多めに調合してもらったよ。より深い、恍惚とした眠りへと誘うためにね」

神楽坂の声は、甘く、そしてどこか官能的に響いた。彼にとって、患者は単なる施術対象ではなかった。それは、彼の内に潜む獣性を解放するための、生きた玩具だった。

「ロゼ・クレール」の診察室は、高級ホテルのスイートルームを思わせるような内装が施されていた。柔らかいソファ、間接照明、そしてかすかに漂う芳香。しかし、そのすべてが、これから行われる非道な行為を隠蔽するための、巧妙に仕組まれた舞台装置に過ぎなかった。

その日、クリニックに足を踏み入れたのは、まだ若い女性、水川沙希だった。彼女は、過去の事故で顔に深い傷を負い、そのコンプレックスを解消するために「ロゼ・クレール」に藁にもすがる思いでやってきたのだ。神楽坂の巧みな話術と、クリニックの評判に惹かれ、彼女は希望を抱いていた。

「水川様、ようこそ「ロゼ・クレール」へ。この度は、私にあなたのお悩みを打ち明けてくださり、ありがとうございます」

神楽坂は、沙希に優しく微笑みかけた。その笑顔は、まるで聖職者のようにも見え、沙希は安心して心を開いた。

「先生、本当にありがとうございます。この傷さえなければ、私は…」

沙希の言葉が途切れ、彼女の瞳には涙が浮かんだ。神楽坂は、沙希の手をそっと握り、慰めるように言った。

「大丈夫ですよ、水川様。私なら、必ずあなたの希望を叶えてみせます。ほんの少しの注射で、あなたは生まれ変われるのですから」

「注射…ですか？」

「ええ、このクリニック独自の、特別な麻酔薬です。効果は非常に高く、痛みもほとんど感じさせません。安心して、眠ってください」

神楽坂は、白衣のポケットから小さな注射器を取り出した。そこには、透明な液体が満たされていた。その液体が、沙希の人生を永遠に狂わせることになろうとは、彼女はまだ知る由もなかった。

沙希は、神楽坂の言葉を信じ、ゆっくりとソファに横になった。注射の瞬間、わずかなチクッとした痛みを感じただけだった。そして、意識は急速に遠のいていった。

彼女が意識を取り戻した時、そこは薄暗い個室だった。体に力が入らず、頭もぼんやりとしている。そして、目の前にあったのは、信じられない光景だった。

「目が覚めたか、私の可愛い人形」

神楽坂の声が響いた。彼は、いつもの端正な顔とはかけ離れた、歪んだ笑みを浮かべていた。その手には、先ほどとは違う、別の種類の注射器が握られていた。

「先生…？一体、これは…」

沙希は必死に言葉を発しようとしたが、喉がうまく動かない。体は完全に自由を奪われていた。

「もう、騒ぐ必要はない。お前は、この私の薬によって、完全に私の意のままになる」

神楽坂は、そう言うと、沙希の体にゆっくりと近づいてきた。彼の瞳には、理性を失った欲望の炎が燃え盛っていた。沙希は、これから起こるであろう恐ろしい現実を悟り、恐怖に震えた。

「まさか…あなた、そんな…」

彼女のうめき声は、部屋の壁に吸い込まれていった。神楽坂は、沙希の抵抗を嘲笑うかのように、ゆっくりと、しかし容赦なく、彼女の体にその手を入れていった。

「これが、本当の美の追求だ。お前が、この私に全てを捧げることで得られる、究極の悦楽なんだよ…」

神楽坂の言葉は、歪んだ恍惚に満ちていた。沙希の体は、もはや彼女自身のものだった。意識は朦朧とし、体の感覚は麻痺していたが、彼女の心は、抗いがたい恐怖と絶望に塗り潰されていった。

クリニックの外では、今日も人々が「ロゼ・クレール」の優雅な facade を通り過ぎていく。誰も、この薔薇の仮面の下で繰り広げられている、悪魔的な儀式を知る由もない。神楽坂宗一郎という名の医師は、今日もまた、患者たちの絶望と、自身の歪んだ欲望の深淵へと、静かに沈んでいくのだった。

このクリニックでは、一晩に一人、また一人と、希望を抱いた人々が、二度と戻れない場所へと誘われていく。彼らが口にする「美しさ」という言葉は、神楽坂にとっては、ただ単に彼自身の欲望を満たすための、都合の良い言い訳に過ぎなかった。

その夜も、「ロゼ・クレール」の窓からは、かすかに、しかし確かな悲鳴が漏れ聞こえていた。それは、この閉鎖された空間の中で、人の尊厳が踏みにじられる音であり、人間の最も醜い部分が露呈する音でもあった。しかし、住宅街の静寂は、その悲鳴を優しく包み込み、まるで何も起こっていないかのように、夜は更けていった。

「ロゼ・クレール」は、今日もまた、罪なき人々をその甘美な毒で魅了し続ける。神楽坂宗一郎の歪んだ美学は、この場所で、静かに、しかし確実に、生きたまま彫刻されていくのだ。そして、次にクリニックの扉を叩く者もまた、この薔薇の仮面の下に隠された真実を知らず、ただひたすらに、美への渇望だけを胸に抱いて、足を踏み入れるのであった。