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## 浅い川に沈む月影

紫電一閃、春の嵐が去った後のような静寂が、すみれの心を包み込んでいた。窓の外には、雨に洗われたばかりの緑が鮮やかに映えている。しかし、その清々しさとは裏腹に、彼女の胸には鉛のような重さが沈んでいた。夫の博樹が家を出てから、もう一週間になる。新しい仕事のため、彼は都会へと旅立ったのだ。

「すぐに帰ってくるから。待っていてくれるかい？」

そう言って微笑んだ博樹の顔は、いつものように優しかった。しかし、その言葉の裏に隠された、かすかな不安をすみれは見逃さなかった。結婚して三年。お嬢様育ちの自分と、貧しいながらも懸命に生きてきた博樹との結婚は、両親にとって大きな心配の種だった。そして、その懸念は、現実のものとなりつつあった。博樹の収入は安定せず、日々の生活は綱渡りのようだった。今回の転職も、家族のために、より多くのお金を稼ぎたいという博樹の必死の思いの表れなのだ。

しかし、博樹が留守の間、すみれは一層の寂しさと、そして、募る不安に苛まれていた。彼女は、夫との性的な関係に、どこか物足りなさを感じていた。博樹は優しく、愛おしい人だったが、それはまるで、清らかな小川のせせらぎのようなものだった。澄んでいて、心地よい。だが、すみれの奥底には、もっと激しい、嵐のような激流への憧れが、密かに息づいていた。

そんな時、彼女の元に届いた一通のメール。それは、かつて大学時代に憧れていた先輩、健一からのものだった。「久しぶり。元気かい？近いうちに、どこかゆっくり話せる場所で会えないだろうか。」健一は、あの頃、すみれの心を掻き乱した、奔放で、そしてどこか危険な香りのする男だった。

返信を打つ指が震える。迷い、ためらい、そして、抗いがたい好奇心。彼女は、博樹への罪悪感と、秘められた欲望の狭間で揺れ動いた。そして、半ば無意識のうちに、彼女は「はい」と返信していた。

待ち合わせ場所は、都心から少し離れた、古びた温泉宿だった。木造の廊下は、かすかに軋み、壁には色褪せた掛け軸が飾られている。古風で、そしてどこか艶やかな雰囲気が、すみれの胸に甘い疼きを走らせた。

「すみれちゃん、久しぶり。」

健一は、あの頃と変わらない、悪戯っぽい笑顔で彼女を迎えた。ふっくらとした顔に、鋭い眼光。その瞳は、すみれの奥底の欲望を見透かすかのように、じっと彼女を見つめていた。

「お久しぶりです、健一さん。」

かすれた声で答えるすみれの顔は、熱を帯びていた。部屋に通されると、そこには、浴衣と、そして、かすかな色香を漂わせた健一の姿があった。

「まずは、ゆっくりしよう。」

健一は、そう言うと、にっこりと微笑み、すみれの服に手をかけた。彼女は、抵抗しようともせず、ただ、されるがままになっていた。絹の感触が肌を滑り落ち、博樹しか知らないはずの、自分の身体が、健一の視線に晒されていく。

「綺麗だよ、すみれちゃん。」

健一の言葉は、彼女の耳に甘く響き、心の奥底に潜んでいた罪悪感を、少しずつ溶かしていった。彼女は、博樹との関係を思い出そうとするが、その記憶は、健一の熱っぽい吐息に掻き消されていく。

「もっと、脱いでごらん。」

健一の言葉に、すみれは、まるで操り人形のように、服を一枚一枚脱ぎ捨てていく。彼女の身体は、博樹との関係が少なかったこともあり、年齢以上にうぶだった。しかし、健一の巧みな指先と、熱っぽい眼差しは、彼女の羞恥心を、徐々に快楽へと変えていった。

「君の身体は、とても綺麗だ。」

健一の言葉が、熱を帯びてすみれの身体を撫でる。彼女の肌は、健一の指先を辿るように、徐々に熱を帯びていった。かつて、両親の反対を押し切って博樹と結ばれた時にも、これほどの激しい感情は抱いたことはなかった。

「あ…。」

かすかな喘ぎ声が、部屋に響く。それは、彼女自身の、抑えきれない衝動の証だった。健一の指先が、彼女の敏感な部分を愛撫し始めると、すみれは、全身を貫くような快感に、身を震わせた。

「もっと、我慢しないで。君の本当の声を、聞かせて。」

健一の言葉に、すみれは、抵抗する術もなく、ただ、その快感に身を委ねるだけだった。彼女の理性は、熱に浮かされたように、霞んでいく。博樹への罪悪感も、家計の困窮も、全てが遠い世界のことのように思えてきた。

そして、その夜、すみれは、初めて、自分自身の奥底に眠っていた激しい欲望と、それに応えるかのような、圧倒的な快感を知った。それは、まるで、静かな湖面に、突然降り注いだ流星群のような衝撃だった。

夜が明ける頃、すみれは、一人、宿の部屋の窓辺に立っていた。身体の芯に、まだ残る熱と、そして、かすかな虚無感。彼女の胸には、博樹への罪悪感が、しかし、昨夜の快感によって、以前よりもずっと薄くなっている自分がいた。

「これで、いいのだろうか。」

彼女は、遠くの山並みに沈んでいく月影を見つめながら、静かに呟いた。浅い川に沈む月影のように、彼女の心もまた、不清な光を放ち始めていた。しかし、その光は、彼女を、抗いがたい誘惑の深淵へと、さらに引きずり込んでいくかのようだった。