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三十三歳の夏。真希は、自分の足を「神の足」と呼ぶようになった。

身長162センチ、25センチの足。それは決して大きくもなく、小さくもない、ごく普通のサイズだった。しかし、ある夜、その足は真希の人生、そして周囲の人々の記憶に、強烈なインパクトを残すことになる。

真希は小さなクラブでバーテンダーとして働いていた。毎晩、妖しい光と音楽、そして酔客たちのざわめきの中で、彼女は巧みな手つきでカクテルを振るっていた。その日の仕事はいつもより長く、クラブを閉めたのは早朝五時近かった。そのまま、七時から始まる早朝バイトに向かうため、靴を脱ぐ暇もなく、スニーカーのまま、徒歩で向かったのだ。

そのスニーカーは、真希が普段から愛用している、白のキャンバス地のものだった。履き心地は良いが、通気性は決して良いとは言えない。二十時間以上も履き続けたその靴を、早朝バイトを終え、やっと脱いだ瞬間だった。

「えっ……！？」

真希は、自分の足から立ち上る強烈な臭気に、思わず声を上げた。それは、精子そのもの。似ている、というレベルではなく、まさに精液の匂いだった。部屋中に充満し、足元周辺に留まるものではなかった。まるで、目に見えない白い煙が、彼女の足元から立ち上り、部屋全体を覆い尽くしているかのようだった。

24時間と30分。靴を脱ぐことなく、そのスニーカーを履き続けたことで、彼女の足は過酷な環境に晒されていた。靴下、素足の臭い、ビニールのような蒸れた臭い、中敷きに刻まれた足跡、そしてベタベタと粘る足指。それらが混ざり合った、強烈で異様な臭気は、真希を圧倒した。

撮影は、その直後に行われた。早朝バイトを終え、疲労困憊の真希は、写真家の友人、拓也からの依頼を受けていた。拓也は、真希の独特な世界観を写真に捉えようと、長年、彼女を撮影し続けていた。今回は、特に指定はなく、「今、一番表現したいものを撮らせてくれ」という、漠然とした依頼だった。

真希は、躊躇なく、自分の足をカメラの前に差し出した。拓也は、その異様な臭気に顔をしかめながらも、彼女の足を真剣な眼差しで観察し、丁寧に撮影していった。

様々なアングル、様々な光で。足の爪の隙間、土踏まずの皺、かかとに刻まれた小さな傷。そして、そのすべてを覆い隠すかのような、精液のような臭気。

撮影が終わった後、拓也は真希に言った。「これは、アートだ。これぞ、真の『神の足』だ。」

その言葉は、真希の心を揺さぶった。彼女は、自分の足を、ただ臭くて気持ち悪いものだとしか考えていなかった。しかし、拓也の言葉によって、その足が、彼女自身の個性、そして創造性を象徴するものだと気づいたのだ。

それからというもの、真希は自分の足を「神の足」と呼ぶようになった。それは、決して美しくもない、むしろ不潔で、異様な臭気を放つ足だった。しかし、その「神の足」には、真希の過酷な労働、そして彼女の生きた証が刻まれていた。

拓也は、真希の「神の足」の写真を個展で発表した。その作品は、多くの人々を驚かせ、そして魅了した。観客は、その異様な臭気、そして真希の表現力に圧倒され、静かにその写真を鑑賞した。

一部からは批判の声も上がった。不衛生だとか、芸術ではないとか、様々な意見があった。しかし、真希はそれらに耳を傾けなかった。彼女にとって、重要なのは、自分の表現を理解してくれる人がいるかどうか、それだけだった。

真希の「神の足」は、人々の記憶に焼き付いた。それは、美しさや清潔さとは無縁の、しかし強烈なインパクトを持つ、独自の芸術作品として。そして、真希自身にとっても、「神の足」は、彼女の人生を象徴する、忘れられない存在となった。彼女はその足と向き合い続け、自身の表現、そして生き様を追求していく。それは、長く、そして険しい道のりとなるだろうが、真希は、自分の「神の足」を信じて、歩み続けていくのだった。  彼女の足は、もはや単なる足ではなく、彼女自身の存在そのもの、そして表現の象徴となっていた。