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## ふつうの、匂い

真由美（まゆみ）は、36歳。身長163センチ、足は23.5センチ。ごく普通の、どこにでもいる主婦だった。スーパーのレジで、隣家の井戸端会議で、PTAの役員会で。誰からも特別に注目されることもなく、誰からも嫌われることもなく、淡々と日々を過ごしていた。

真由美の「ふつう」は、数値で表せるものだった。体温36.5度、血圧120-80、脈拍60回。そして、足裏の臭いも平均的。靴下を脱いだ時のあの、独特の匂い。靴の中敷きには、日々歩いた跡がくっきりと残っている。パンストのつま先には、小さな穴が開き、擦り切れた跡が見える。生活感、それこそが真由美の「ふつう」だった。

夫の健太は、真由美のことを「すごくいい女房だ」と言う。文句ひとつ言わず、家事をこなし、仕事から疲れて帰ってきた自分を笑顔で迎えてくれる。健太は、真由美が「ふつう」であることに、何の不満も抱いていない。むしろ、その「ふつう」に、安心感を覚えているのかもしれない。

しかし、真由美自身は、この「ふつう」に、時折、小さな不安を感じていた。それは、自分の体臭に関してだ。腋の匂い、そして「アソコの匂い」は、やや弱めだった。生理用品の広告でよく見る、あの鮮やかな赤と白の世界とは、まるで縁遠い。健太は、何も言わない。だが、真由美は、それが「足りない」からではないと、自分自身で理解していた。単なる体質の問題なのだ。

ある日、真由美は、古道具屋で古い鏡を見つけた。磨けば光る、という謳い文句に惹かれ、衝動買いした。その鏡に映る自分の顔は、いつもと同じ。しかし、その鏡に映る自分の「ふつう」は、少し違って見えた。

鏡に映る自分の足を見て、真由美は初めて自分の足に意識を向けた。少し爪が伸びている。踵は乾燥している。足裏には、浅いタコがいくつも出来ていた。毎日履いている靴の中敷きには、自分の歩んできた足跡が刻まれている。それは、決して華麗な足跡ではない。だが、そこに、真由美の人生が凝縮されているように思えた。

その日から、真由美は自分の「ふつう」を見つめ直すようになった。パンストの穴を丁寧に繕い、靴の中敷きを清潔に保つ。乾燥した踵にはクリームを塗り、伸びた爪を切る。それは、特別な行為ではなかった。ただ、自分の身体を、自分の「ふつう」を、丁寧に扱う行為だった。

そして、真由美は、新しい香水を買い求めた。高価なものではなく、ごく普通の、誰にでも似合う香り。その香りは、真由美の「ふつう」を、少しだけ輝かせた。

ある晩、健太が珍しく真由美の腕に抱きついた。「今日は、なんかいい匂いがするね」と、健太は言った。真由美は、少し照れくさそうに笑った。それは、香水ではなく、真由美自身の、丁寧に扱われた「ふつう」の匂いだったのかもしれない。

真由美の「ふつう」は、決して特別なものはない。しかし、その「ふつう」の中に、真由美の人生があり、真由美の努力があり、真由美の愛があった。そして、その「ふつう」は、健太にとって、そして真由美自身にとって、かけがえのないものだったのだ。

真由美は、これからも、自分の「ふつう」を、大切に生きていく。足裏の匂いも、パンストの汚れも、靴の中敷きの擦り切れも、全て含めて、自分の「ふつう」を。そして、その「ふつう」に、小さな幸せを見出していく。それは、誰にでもできることではないかもしれない。しかし、真由美にはできた。なぜなら、彼女は、自分の「ふつう」を、愛していたからだ。

スーパーのレジで、隣家の井戸端会議で、PTAの役員会で。真由美は、今日もまた、自分の「ふつう」を、静かに、そして力強く、生きていく。その「ふつう」は、誰にも真似できない、唯一無二のものだった。そして、その「ふつう」こそが、真由美の、そして彼女の家族の、幸せの源泉だった。  その「ふつう」の匂いが、これからもずっと、真由美の生活に、優しく、そして温かく寄り添っていく。